頭陀袋114 令和3年12月号

師走回想  住職 古田正彦

それは数年前の師走、半ばを過ぎた頃でした。思わぬ方からの電話でした。

「お宅のお寺は黄檗宗ですね?実は、折り入って住職さんにお話ししたいことがありますので、一度お伺いしたいのですが、ご都合はいかがでしょうか?」
電話のむこうの声はだいぶご年配のようでしたので、
「宜しければこちらからお伺いいたしますが…。」と、言ったやり取りで先方様にお伺いする事になりました。
電話の主は、高山市の東のはずれ、丹生川町法力の瀬上籐士夫さんと申されました。

瀬上籐士夫

実は、私はむかしの大切な親戚から、黄檗にまつわるお軸を預かっているのですが、この親戚は跡継ぎがなく、すでに縁者も亡くなっております。
私も思案したのですが黄檗にご縁のあるお寺さんに引き取ってもらえないか相談したいと思い電話をおかけしました次第です。

拝見すると黄檗木庵禅師画、即非禅師讃 合作観音像と、箱書きされておりました。

古田住職

これは不思議なご縁です。
木庵禅師は私どものお寺の開山ですし、即非禅師は木庵禅師の弟弟子にあたります。黄檗の三筆と言って隠元禅師、木庵禅師、即非禅師は能筆家として知られています。何と不思議なご縁でしょう。

と、申し上げると「私はもう齢九十を過ぎました。若い頃兵役に駆り出され、インパール作戦に従軍致しました。昭和十九年でしたか、ビルマと南インドの国境を日本軍や、インドの人たちを交えた武装戦(ゲリラ)でしたが総勢八万人とも九万人ともいわれました軍団はわずかの食料も尽きて飢えと暑さ、疲労の行軍でした。
私は沢山の仲間の亡骸を置き去りにして、再び故郷の土を踏むことができましたが、『この国は二度と戦争を起こしてはならない。戦争のまきぞえになってはならない。』と、語り続けてきました。私は数少ないインパールの残党ということで新聞や、ラジオの取材を受けた事もありますが、どうか丹生川の爺さんがこんなことを言っていたと、時々思い出してください。」と、申されました。

毎年、東山連合寺院二十ケ寺余りは、お盆の送り火「灯ろう流し」と川施餓鬼という行事を行っておりますが、
今年はコロナの影響で中止となり、代わりに東山、大雄寺様をお借りして、「万灯会」と称し、お盆の送り火、お施餓鬼棚を整え、「施餓鬼」が行われました。
この法会に当番長として、不肖、私が導師として回向させていただきました。
太平洋戦争の戦没者、東日本大震災犠牲者、各施主様ご親族萬霊のご供養とともに瀬上翁のお言葉を思い起こし合掌させていただいたことです。

行く年・来る年のご案内

●12月30日大掃除・仏前荘厳
●12月31日16時~ 歳晩諷経 
23時~ 除夜の鐘
●1月1日零時~ 歳旦祝聖(新年のお経)
9時~ 下岡本三寺まいり 願生寺・真光寺・恩林寺新年互礼会
●1月2日~5日壇信徒様宅へ年頭挨拶

今月の言葉

時は得難くして失いやすし

今抱えている問題を、今すぐとりかかる。
後で、あとで…と先延ばしするうちに問題が大きくなったり失敗の原因になったりする。
時は人を待たない。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。