頭陀袋057 平成29年3月号

おのれの主

おのれこそおのれの主。

おのれこそおのれの頼りである。だから何よりもまず、おのれをおさえなければならない。

私たちはしばしば自分を見失います。解っていながらじぶんではどうしようもなくなるのです。その理由は様々です。「あいつに負けた。悔しい。」などということはよくあります。(金や地位を失ってこれからどう生きようか)と、絶望することもあるでしょう。希望通りに運ばないこともよくあります。病気も、失恋も人生における大きな心の傷となります。

平成二十年東京の秋葉原で通り魔事件が起こりました。犯人の青年は秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んだ後ナイフで凶行に及び、十七人の死傷者を出しました。 通り魔事件としては史上最悪の事件と言われています。その青年は「思い通りにいかないことがあって誰にも話せない。だれでもいいから構ってほしかった。」と 述べております。やったことはもちろん許されないことですがこの思いは社会に疎外された現代の若者に共通しているの かもしれません。

<p>しかし思い通りにならないと思うのは自分の自我に振り回されているからです。その自我が「ないものねだり」をし、[限りなくねだる。]からいつも欲求不満に苦しむのです。これは私たちの性と言ってもいいでしょう。傷ついた心はいやさねばなりません。そして空腹になったらじぶんで食事をするしかないように、心が傷ついたら自分自身で癒すしかないのです。こればかりは他人 ねだって頼むことはできません。自我や欲望を整えることにつながるのです。

おのれこそはおのれの主(あるじ) おのれこそはおのれの頼りである。
だから、なによりもまず おのれを抑えなければならない

パーリ法句経

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。