頭陀袋050 平成28年8月号

他人の過ち

人間は自分だけの力で大きくなることはできません。

多くの人達と付き合ってそのなかでいろいろ学び成長するものです。他人の良いところを身に着け、悪いところは真似しないようにしていけば、人との付き合いは楽しくなります。

ところがいったん相手が嫌いになったりすると、急にその人の欠点が目につきやすくなり間違った言動をしているとわかると、さらに許せなくなります。そうするとそばに行ってやさしく間違いを直してあげようとはせず思わず相手から距離を取るようになったりします。

これが反対に自分の事となると、人は犯した過ちを何とか正当化しようと言いつくろい、時には嘘までついて状況をおかしくしてしまったりします。素直に「ごめんなさい。」と謝ることができないばかりに、のっぴきならないことになってしまいます。

孔子も論語の中で(過ちを犯したならばためらうことなく改めなければならない。)と、 言っています。私たちは残念ながら他人の事はたやすく批判するのに、自分の過ちをなかなか認めようとしません。いつもいろいろな言い訳ばかりしています。

佛教では 仏様や和尚さんに、おかした罪を告白して許しを願うことを懺悔(ざんげ)といいます。中には常に懺悔を心がけている人もあります。人の過ちをあれこれ指摘する前にまずは一呼吸おいて自分自身のことを振り返って考えてみるゆとりをいつも持ちたいものです。

恩林寺寺報(頭陀袋)は今回、五十号を迎えました。

次は百号に向かってさらに 頑張ります。ご支援感謝いたしております。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。