頭陀袋013 平成25年7月号

追善・追薦

今は亡き、家族のために追善供養することは昔から遺族の努めとなっていますね。
「○○追善供養塔」などと墨書される卒塔婆も皆様にはおなじみでしょう。「死者の冥福を祈って読経などの善事を営むこと、仏事や法事をして供養すること」を、追善供養といっております。又、追善と供養とは同じことではありませんが、共通点が多いので追善供養、とつないで用いられるのが普通ですね。

ところで追善の「善」ですがこれは当て字で追薦とかくのが本当です。でも、今は「追薦供養塔」 とかかれた卒塔婆をめったに見かけません。「追善」と、辞書を引いてもほとんどのものは「追善」としか出てきません。時代とともに薦が善に取って代わられたようです。推薦の薦はまだ、健在なのですから、 書きやすさばかりがその理由とも言えません。ともかく追善は追薦の俗用だということです。そして追葉「追いかける、」 薦葉「進める、そなえる」の意味ですから追善とは「よいことをしてそれを自分の功徳にしないで、死者の功徳にする、しようということでしょう。死者を追いかけてこの功徳を受け取ってください。と、薦めるわけです。

先祖供養には、

◎蝋燭をともす。
◎香を焚く。
◎お花をささげる。
◎お水を上げる。
◎ご飯を上げる。

という五個の供養がありますが亡き人が一番喜ばれるご供養は読経だとされてきましたね。
無くなったかたたちに、供養をすることはよいことに違いありませんが、特にお坊さんから読経、回向してもらうことはもっともよいことです。読経という善根を積んでその功徳を、無くなった方たちに振り向ける追善供養をいたしましょう。

読経は、無くなった方たちの冥福と生きているものたちの幸福を同時にいただく功徳があります。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。