自己に勝つ
人間は常に「いわれなき恐怖」におののいています。たとえば死に対する恐れ、財産を失うのではないかという恐れ、また、子供に裏切られるのでないかというおそれなどであります。
このような恐怖や苦しみに駆られると人間は世をはかなんで姿を隠したり放浪の旅に出たり山にこもってこの世の憂さを捨て去ろうとしたり、また、中には自分の肉体を苛め抜いて苦しみを忘れ去ろうとしたりします。
また、そのほかにも人だまりの中にレジャーを求める人、美しい自然の中に自分をおいて我を忘れようと努める人、さらには亡き先祖のお墓に詣で(この脅えを救ってほしい。)と祈ったり、いっそのこと死んでしまおうかと死の世界にすべてをかけようとする人があります。
そして、さらに神秘的な世界、幻想的な世界に身を任せて自分には不可能なことをかなえてもらおうとする人などいろいろありますが人間の恐怖とはそんなもので取り除かれて安らぎが得られるものではありません。恐れるのも自分であり、乗り越えるのも自分であります。己こそがよるべであることに気がつくべきです。自己の中にすぐった執着や愚かさから来るこの脅えを克服する以外に安穏はありません。
お釈迦様はこのことを(世に人々は言われなき恐怖に駆られてもろもろの山に森林に、園に、さては樹に、墓によりどころをもとめんとするが、これは安穏のよりどころにあらず)とおっしゃっています。それらは真の解決にはならないからです。大地を二本の足で踏みしめ自分の可能性を力いっぱい切り開いていくことです。不屈の努力を重ねがんばることです。つまり「自己に勝つこと」なのです。 お釈迦様は亡くなられてから二千五百年以上も経っていますがその教えは今も正しく生きています。
死を恐れ財を失われるのを恐れるよりも私たちは自分を失うことを恐れねばなりません。
住職合掌