真言宗泉涌寺派
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開創については不明であるが、古くこの地に吉刹があったと伝えられる。天正年間、松倉城主三木自綱が再興し、三木氏没落後、廃絶した。
正保元年五月ニ十五日、女僧・一如素心尼があって、白ら山上に石棺を埋め、生きながらに入定した。中興の開基とされる。
延宝五年七月、千島村民が力を合わせ、一宇を建立し、愛染明王を安置し、また別に坊舎を設けて、寺と為し、集雲山と号し、号を霊泉寺と称した。寺後に美泉が涌き出でて、霊泉寺の寺名となったが、村民は、親しみを込めて「愛染」と称してきた。
そのときの住持は、天霓高幢和尚である。
元禄年間には、皇室の香華院である泉涌寺の第九十一世長老・春瑞法印は、寺僧・千紅去師を当国に差し遣わし、千紅法師は、松倉山普門堂に住み。光厳天皇より桜町天皇に至る尊牌を奉特し、後年、当山に移り住み、泉涌寺の末寺となる。
現在の本堂は、昭和五十二年十二月に再建され、昭和五十三年四月ニ十九日、本山である泉涌寺管長・長老小松道圓猊下のご親修を得て、本堂建立落慶法要が厳修された。
ほかに高山市の重要文化財である愛染堂がある。