濁れば…

濁れば…
濁れば…

意地っ張りな恩林寺の小僧です。

私の学生時代はとにかくワガママで😅自分さえよければ良いと考えていました。
先生や親にはかなりの迷惑をかけたと思います…いえ、迷惑をおかけしました❗
説教も耳に入らない子供でしたから😭
今は多少落ち着きましたが、相変わらず頑固な性格は未だにあります。
意地っ張りなところを治すのが、今の目標かもしれません。

「意志」が濁れば「意地」になる。

目標を叶えるためや物事を進める上で、強い「意志」を持つのは必要になってきます。
目指すものが無ければ、人は何も出来ないからです。やらされることより自ら思い立ったことの方がより捗るような気がします。
しかし、この意志が強すぎると「意地」になってしまうのです。
他人の意見やアドバイスはそっちのけで、自分の気持ちが優先になります。
目標を達成するには近道に見えますが、これは完全な状態にはなりません。
ブレーキが効かないスポーツカーはゴールに早く着いたとしても、先にある壁にぶつかってしまいます。
他人の言葉に耳を傾けられない意地っ張りも、同じような道を歩んでしまうのです。
私は、意志が意地にならないようにするには、物事を正しく見ることが大切だと思っています。
周囲を見渡し、日々精進することで強い意志が保たれるのではないでしょうか?

「口」が濁れば「愚痴」になる。

目や耳や鼻の穴は二つずつ付いているのに、口は一つしかありません。
これは、嘘や悪口を言わないようにするためだとよく言われます。
しかし、一つしかない口を愚痴にしか使わないもったいない人がいます。
「あの人はいいなあ」「この人のせいで…」気づけばこのようなことばかり話していませんか?
口は正しい言葉を使わないと「愚痴」になってしまいます。
悪口、両舌(二枚舌)、妄語(嘘)、綺語(綺麗事)など、仏教では口に関する悪事は多いとされています。
愚痴という字はどちらも「おろか」という意味です。
一つしかない口すら大切にできない人はまさに「おろか者」ですね。

「徳」が濁れば「毒」となる。

早起きすれば三文の徳と言います。
三文は現在の価値で約90円ほどです。
二束三文、三文判というように、三文というのは「ほんのわずかな」という意味のようです。

豆知識

二束三文…(草履を)二束売っても三文にしかならない
三文判…出来合いの安い、悪い印判(はんこ)

「早起きしてもほんのわずかな徳しか貰えない。」と考える人がいるでしょう。
その気持ちはまさに徳が「毒」になってしまっている状態なのです。
仏教には三徳というものと三毒というものがあります。

三徳と三毒

三徳
恩徳…世の中全てを救いたい思いから周囲に施す徳
断徳…自身のうちにある煩悩を断ち切るという徳
智徳…平等智(後日掲載予定)によって全て見通すことが出来る徳

三毒
貪…際限なくあれこれ欲してむさぼり求める悪徳
瞋…不快なものに対して憎み嫌悪する悪徳
痴…無知で自己利益しか考えないような悪徳

徳の字の成り立ち

徳という漢字の成り立ちは、会意兼形声文字(会意文字と形声文字の特徴を併せ持つもの)です。
行人偏部分は「十字路の左半分」の象形と「上にまじないの十をつけた目の象形と心臓の象形」
ここから「まっすぐな心で人生を歩む」を意味する「徳」という漢字が成り立ったようです。

功徳

善いこと・善いおこないという意味で、『功徳を積む』といった使われ方をしています。
善いことをしたあとに授かる、「功能(よい働き)や「福徳(幸福・利益・恵み)のことも功徳と言います。

陰徳

人に知られないようにひそかにする善行いう意味です。
『陰徳あれば陽報あり』ということわざもあります。
人に知られずひそかによいことを行っていると、いずれ、よくわかる形でよい報いを得られるということです。
淮南子 人間訓の一節、「陰徳有る者は、必ず陽報有り」から生まれたようです。

小僧さん

物事には正しい使い方があります。
意志も口も徳も、正しく持てばよいのですが、正しさを失うと、意地や愚痴や毒になってしまうのです。
私自身の心も濁らないように気を付けていきたいと思います。

小僧合掌

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恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。