頭陀袋110 令和3年8月号

コロナ禍雑感

この二年間、世界を震撼させたコロナウイルスは私たちの生活に様々な狂いを生じさせました。
昔は、怖いものと言えば…『地震・雷・火事・親父』が定番でした。

東日本大震災から十年、禍は忘れたころににやってくるといいます。
コロナ禍でまず年配者の感染が心配されました。その後、巣ごもり生活の反動か、今度は若年層の感染が課題となりました。文明の進んだ現在、対応薬の開発が急がれ、ようやく二年目にして予防薬の接種が具体化してきました。

我が国においては長い歴史の中で、疫病(原因不明の流行り病)、天然痘、結核、スペイン風邪、インフルエンザ、日本脳炎等、病魔に襲われています。
時の朝廷は人民の健康・病気平癒を祈って大仏を建立したり、加持祈祷を行ったりしています。
また、これらは神の祟りと恐れられ、御祓い、祭礼が行われてきました。
昔は、仏教と医療、社会福祉の結びつきが強く、また、迷信や占いも行われてきました。
さて現代はこのコロナ禍にこのすべてを否定することができるでしょうか。

ここが、人間の弱さかもしれません。

伝染病の予兆といったものは数年前から発生していました。
鳥インフルエンザ・豚コレラの発生、一度ウイルスに感染した鶏が出ると養鶏場すべての鶏を皆殺し、豚コレラが発生するとすべて生き埋め。人間とは酷い生き物です。

もっと早くに家畜の感染対策、人間のウイルス対策に考えが及ばなかったのでしょうか?
コロナ禍の不安が解消された時、人間は改めて家畜の健康、人間の健康、さらには人間の心の健康を考え直す時期の来ている。と考えるものです。

疫病に限らず、災害はいつ発生するかわかりません。
戦争の火種はあちこちにくすぶっております。
過去において飛騨は飢饉に見舞われ、たくさんの餓死者が出て桐生河原に穴を掘り死者を埋めた。(これを万人抗といいます。)また、町中を焼き尽くす火災も何度か経験しております。
こうした過去の出来事を、もう一度思い返し、危機管理を怠らないようにしたいものです。

今月の言葉

思い通りにならない子供の言動の中に自分の姿が現れている。

昔から、子は親の鏡なんて言います。
知らぬ間に親の日常が、子供に移っているものです。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。