花園大学、卒業できました。
受験から合格へ
「小僧さんなら大丈夫、絶対に受かるから」と和尚さんに言われてもドキドキしてた高校3年生。
普段から落ち着きがない小僧が、もっとソワソワしてました。
母に同行して頂き、京都の街に驚いていたオープンキャンパス。
その後、人生初の一人で宿泊しての受験。(👈田舎暮らしならでは😁)
合格通知が届くまで、一日一日が長く感じていました。
『大丈夫!』『でもなぁ…』とテンション乱高下😱
合格通知が届いて、やっと一安心できました。
合格後は
初めての一人暮らし…とはいってもお寺の学生寮ですけど😅
この学生寮、和尚さんと一緒に萬福寺を訪問し内見させてもらいました。
『すげぇ…』見るもの聞くものすべてが新鮮😲
今にして思えば、本人より両親の方が準備にバタバタしてました😅
準備が整い、いざ京都へ!
入学して
花園大学に入学し、多くの友人達ができました。
その多くがお寺の跡継ぎたちで、臨済宗寺院のご子息。
「ハゲにしたくない!」「お坊さんなんてダサイ!」と入学当初の周囲から聞くセリフ😁
ずっと僧侶になりたかった小僧からすると、少々不思議な感覚でした。
田舎育ちが…
京都で生活しているうちに、様々なことに慣れが生じてきました。
それまで親元で育ってきた小僧、自由の意味を履き違えて…😱
まぁ、田舎者ならではの都会の波に飲まれて…というやつですね。
高山にはないモノばかりに囲まれ、心奪われてしまいました。
小僧の性格でしたら、ここで荒んだ生活に落ちるトコだったのですが…
萬福寺の学生寮担当の和尚さまに助けていただきました。
「成績表を提出するように。悪ければ学生寮から追い出す!」
これでは手を抜くどころではありません。
当時は『何という面倒なトコなんだ…』なんて幼い考えがありました。
今は感謝しかありません。
コロナ禍
コロナ禍に拠るリモートでの授業というのも経験させて頂きました。
その御蔭で半年近く、高山で過ごせました。
『高山、遊ぶトコないな~』と思って過ごしていました。
それなのに、炊事洗濯すべてを母任せにしていた小僧は親不孝者でした。(👈今も?)
バス通学
大学3年間と雲水1年間の計4年間、京都でお世話になりました。
そして就活生のなった大学4年生は高山からのバス通学となりました。
毎週、卒論のためだけに通い続けながらの就職活動。
バイトしながら自動車学校へ通い、毎朝恩林寺へ通い…と生活が一変しました。
就活の際、大学に相談すると「そんな田舎のことはわからない」と放置。
大手の就職サイトの案内をされるだけ。
田舎者は辛いなぁ~😭
卒業🎓
とまぁ、そんなこんなで無事に卒業できました。
こうやって振り返ってみて思います。
『多くの人に支えていただいて、卒業できたんだなぁ』改めて実感しました。
これからは支える側として頑張っていきたいと決意した卒業式でした。
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小僧合掌
通うのが嫌な学校でも、卒業となると寂しく感じます。
「合格は嬉しいけど、大好きな孫が京都へ行くのは寂しい…複雑や…」
今は亡き祖父の言葉が、ふと頭に浮かびました。
高山に戻ったら和尚さんに両親に感謝を述べた後に、
墓前に報告しに行こうと思います。