高野山真言宗
Information
当院は平安時代中頃(九三五~九四一)高野山金剛峯寺座主であった済高僧正が高野山に建立され、江戸時代には飛騨及び郡上八幡の藩主金森家の高野山での菩提寺でありました。
明治の廃仏毀釈で隣りの八幡神社の別当長久寺が廃寺となったため住職兼神官であった桜山識雄和尚が高野山より相応院の寺号、聖観音等を讓り受け現在地に本堂を建立しました。裏の弘法山には西国三十三観音、弘法大師修行像もまつられています。
また長久寺は高山陣屋からの鬼門に当たるため不動明王をおまつりして高山の鬼門除けと住民の安全を祈願しました。
現在も毎月ニ十八日不動明王の縁日には護摩祈願致しております。
弘法大師縁日毎月ニ十一日。