即非如一は中国福建省の人で、黄檗宗の開祖・隠元隆琦(1592-1673)を追って来日した。
長崎・崇福寺、京都・萬福寺に住し、寛文5年(1665)、小倉・福聚寺を創建した。

頭陀袋114 令和3年12月号
師走回想 住職 古田正彦 それは数年前の師走、半ばを過ぎた頃でした。思わぬ方からの電話でした。 「お宅のお寺は黄檗宗ですね?実は、折り入って住職さんにお話ししたいことがありますので、一度お伺いしたいのですが、ご都合はい...
即非如一は中国福建省の人で、黄檗宗の開祖・隠元隆琦(1592-1673)を追って来日した。
長崎・崇福寺、京都・萬福寺に住し、寛文5年(1665)、小倉・福聚寺を創建した。
師走回想 住職 古田正彦 それは数年前の師走、半ばを過ぎた頃でした。思わぬ方からの電話でした。 「お宅のお寺は黄檗宗ですね?実は、折り入って住職さんにお話ししたいことがありますので、一度お伺いしたいのですが、ご都合はい...
黄檗宗 Information 恩林寺開山木庵性瑫禅師は明代未の中国福建省晋江の人で、中国黄檗山主隠元禅師に師事し法を継ぎました。師僧が来日されるとともに同行して宇冶前、黄檗宗大本山萬福寺ニ世となり、多くの寺院の建立と宗...
関東地方での黄檗宗の教線は日に日に拡がり、上野に萬徳山広済寺が潮音和尚によって建てられ、また江戸に紫雲山瑞聖寺が鉄牛和尚を住寺として迎えました。 寛文十一年四月、瑞聖寺の伽藍が竣工したのを機に、かねてから心にかけられてお...
この年の八月二十三日、禅堂が建ちました。 たまたま即非和尚がこの日黄檗山に登って来られましたので、冬の修行期には木庵禅師と即非和尚が東西両堂の首座として五百人近くの修行僧の指導にあたられました。 また、十二月には老和尚に...
禅師と即非和尚とは殊に仲が良く、お互いに詩偈を作りあったり、舟で沖に出て語りあったり、福済寺と崇福寺を相互いに訪れあったりされました。 また、お二人で盛んに禅の教化にしたので、長崎の人たちは二人を仏教界の二甘露門と稱んで...
慧明寺に住持されてから一年余りたった頃、隠元老和尚から、 海を渡って日本に来て教化の手伝いをするように と親書が届けられました。禅師は、 と言って、四十五歳の夏七月九日海を渡って長崎に上陸、出迎えられて福済寺にお入りにな...
太平寺は滴たるばかりの翠の山々に囲まれていました。 禅師は座禅の余暇には田植えをされたり、野菜の種子を蒔かれたり、畚を負って土を運んだり、薪を採ったりされて、悟後の修行を積まれました。 隠元老和尚はあなたにどのような禅法...