太梅寺さまへお伺いしました🙏

施餓鬼法要

8月20日、富加町にある太梅寺にて施餓鬼法要が行われました。
恩林寺の和尚さんとわたくし小僧の二名で参加させて頂きました。
小僧は臨川寺さまの施餓鬼法要と同じく、香灯ひゃんてんを担当しました。

大梅寺

大梅寺の創建は平安時代、後一条天皇から賜わった観音像を安置したのが始まりだったようです。
小さな御堂に安置され信仰されてきましたが、江戸時代に領主から寺領の寄進があり観音堂を造営、1695年に今渡円通寺(岐阜県可児市)より鉄面和尚を招いて正式な寺院として開山しました。
本尊である木造聖観世音菩薩立像は平安時代作(推定)。

身代わり観音

昔、信者がお武家様に斬られそうになると自ら身代わりになったと伝えられ、現在もその時の刀傷が残り「身代わり観音」の別称を持っています。

梅の木観音

1578年の本堂火災の際、本尊が自ら梅の木の根本まで脱出し無事だった事から「梅の木観音」の別称も持っています。

梅嶽真白ばいがくしんぱく

黄檗山第28代(1827年10月21日、黄檗山住持となる。)
1766年8月15日、岐阜県美濃武儀郡八神村の生まれ。
大梅寺の住職もされていた方です。

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鉄面寂錬禅師

開山祖である鉄面寂錬禅師、どんなに検索しても詳細がわからず…どなたか教えてください。

ただ色々と検索し続けておりますと、こぬか薬師として有名な医徳山 薬師院(京都十二薬師霊場・第9番札所)を再興した方だとわかりました。
上洛した織田信長が斎藤道三より伝来した薬師如来を移転させたそうです。江戸時代に黄檗宗の寺院となりました。当時は大黒町一帯にまたがる広大な境内を持ち、「こぬか薬師」は京都七薬師の一つとされました。

鎌倉時代の寛喜2年(1230)、疫病が流行し死者が相次いだ。ある時、住職の夢に本尊の薬師如来が現れ、こう告げました。

薬師如来

わたしの前に来れば一切の病苦を取り除こう。来也こぬか、来也。

それを聞き感激した住職、お告げをみんなにふれ回ると、遠国からも病人が集まりました。
そして薬師如来に祈ると、諸病平癒し以後「こぬか薬師」と呼ばれるようになりました。

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恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。