隠元隆琦は、明末清初の禅宗の仏教僧。
江戸時代初期に来日し、日本黄檗宗の祖となった。
福建省福州府福清県の出身。
『隠元禅師350年大遠諱』開催
隠元禅師いんげんぜんじ350年大遠諱だいおんき 2022年10月3日、黄檗宗の開祖にして黄檗山萬福寺を開山された「隠元禅師」の350年忌が催されました。本来でしたら隠元禅師が亡くなられたのは4月3日に執り行う予定でした。...
隠元隆琦は、明末清初の禅宗の仏教僧。
江戸時代初期に来日し、日本黄檗宗の祖となった。
福建省福州府福清県の出身。
隠元禅師いんげんぜんじ350年大遠諱だいおんき 2022年10月3日、黄檗宗の開祖にして黄檗山萬福寺を開山された「隠元禅師」の350年忌が催されました。本来でしたら隠元禅師が亡くなられたのは4月3日に執り行う予定でした。...
唯一道実和尚の血書華厳経 黄檗山萬福寺草創期、隠元禅師の侍者(お付きの和尚)を務める唯一道実という和尚がおられました。 此の和尚は、隠元禅師が中国黄檗山(古黄檗)で住職しておられたとき禅師の弟子として出家された方で、禅師...
放生のこころ ~隠元禅師の人柄~ 放生とは功徳を積むために捕らえられた生き物を山や池に放つ慈悲業を言います。『金光明経』というお経の中に流水長者という人が瀕死の魚を放って水を与えまた、お経を聞かせたので、後に魚は天に生ま...
禅師が六十三歳を迎えられた延宝元年四月三日、黄檗開山隠元老和尚がお亡くなりになりました。 進龕、 掛真(肖像画を掛けてお祀りする)の法語を述べられました。 禅師は百ヶ日の間、寝床に休まれることなく、昼も夜もお棺の傍から離...
通っている大学はコロナ禍の影響によりオンラインでの授業を行っています。僕もその授業により色々な課題をこなしています。その中でも大変なのが「木庵さんの年譜」を作ることです。 木庵さんというのは、中国の方で、黄檗宗を日本に持...
慧明寺に住持されてから一年余りたった頃、隠元老和尚から、 海を渡って日本に来て教化の手伝いをするように と親書が届けられました。禅師は、 と言って、四十五歳の夏七月九日海を渡って長崎に上陸、出迎えられて福済寺にお入りにな...
ついで西堂という重い役に就かれた禅師は、 と問われ、そのあと、禅師と隠元老和尚は問答を交わされ、禅師が法を嗣ぐにふさわしい禅者であることを確りと認められました。 翌年の立春の日、禅師は老和尚に代って秉払説法を行なわれ、春...
かつて費隠老和尚のもとでお目にかかったことのある隠元老和尚が黄檗山で住持されていました。 禅師は黄檗山に登って足をとどめられました。 ある日、「燃えさかる焔のなかに身を横たえる、そうした場合についてお教え下さい」とお願い...