黄檗の文化

黄檗文化

黄檗山の建造物は中国の明朝様式を取り入れています。
卍くずしの勾欄や円形の窓など、他の寺院ではあまり見かけないものばかりです。

建築物以外でも隠元豆・西瓜・蓮根などの食材や、お寺の本堂などで見かける木魚などが隠元禅師からもたらされたものです。

黄檗宗僧侶の鉄眼道光禅師による一切経の開刻で注目された、明朝体も黄檗の文化と言ってよいでしょう。

鉄眼一切経について

鉄眼禅師は大変苦労して隠元のもたらした大蔵経をもとに「鉄眼版(黄檗版)一切経」という大蔵経を開刻・刊行しました。
これにより出版技術も大きく進歩発展し、日本における仏教の研究は大幅に進みました。
了翁道覚は錦袋円という漢方薬販売にて、収益金で鉄眼の一切経の開刻事業を援助する一方、完成本を誰もが見られるようにする勧学院を各地に建て、それが日本の図書館の先駆けといわれています。

普茶料理

普茶料理ふちゃりょうりとは、江戸時代初期に黄檗宗の伝来とともに中国からもたらされた中国式の精進料理(素菜)です。
葛と植物油を多く使用し、一つの卓を四人で囲む形式が特徴です。「普茶」とは「あまねく衆人に茶を施す」という意味で、法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、茶を飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が原型となっています。

普茶弁当

長方形の座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという様式が、当時では非常に珍しがられました。
炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めることになりました。

食卓の変化

最近では旅館などでしかお目にかからない膳ですが、
江戸時代の日本で食事をする時は、一人用の膳で食べていました。

その後、中国から黄檗の『普茶料理』とともに食卓(テーブル)がもたらされ、皆で一緒に食卓を囲んで食事をとる新しい食事形式が始まり、現在ではその形が当たり前になっています。

梵唄ぼんばい

黄檗宗では、儀式の作法やお経もすべて中国式で行われます。特にお経は独特で、黄檗唐音とよばれる中国語の読み方をします。

日本で一番読まれている代表的なお経である般若心経は「まかはんにゃはらみたしんぎょう~」と唱えられています。

しかし唐音では「ポゼポロミトシンキン」という発音になります。
初めて聞いた方は驚かれたりします。

驚くといえば…黄檗のお経の中に『梵唄ぼんばい』と呼ばれるものがあります。

高低や節があるとても音楽的、もしくは歌のようなお経で、法要では、香灯(鐘と太鼓が一体化したもの)などの鳴物も合わせて音楽演奏のような読経を行います。
黄檗宗では土間本堂が多く、立った状態で読経を行うため、鳴物の叩く位置が高いのも特徴の一つです。