黄檗宗という名前を広めた木庵禅師
木庵性瑫は、1654年に来日していた隠元隆琦に招かれた中国の僧侶です。
勅諡は慧明国師。門下に鉄眼、鉄牛、潮音など50余人がいる。
もともとは長崎県にある福済寺におられたが、隠元様が亡くなられると共に、1664年に大本山萬福寺の住職となりました。
木庵さんは萬福寺の歴代和尚の中で、最も功績を残しております。
1665年、4代将軍の徳川家綱に謁見し優遇され、1669年に紫衣を頂戴しました。
黄檗宗という名前を広め、更には黄檗宗の得度の方法を確立し、誰もが出家することを認めました。
勅諡
諡
身分ある人に死後贈られた名で、諡号ともいう。
僧侶として諡を賜ったのは古くからあり、大師号(最澄さん(天台宗)の伝教大師、空海さん(真言宗)の弘法大師など)のほか、菩薩号、国師号、禅師号、和尚号、上人号などがあります。
ちなみに黄檗宗開祖である隠元隆琦は、後水尾法皇から『大光普照国師』号の特諡を賜った。1917年には、大師号『真空大師』を賜り、最近では2022年に『厳統大師』を賜っております。
黄檗清規
黄檗宗の僧の守るべき規則。
隠元隆琦が黄檗宗の規則儀式を制定した後に、木庵性瑫が校閲し,高泉性敦が1670年に編集したもの。1巻。
清規
禅宗寺院の規則のこと。
多くの寺院を創建
1664年隠元の法席を継いだ木庵は、翌年江戸にて4代将軍徳川家綱に謁見し優遇された。江戸紫雲山瑞聖寺等の開山に招かれ、黄檗戒壇で多くの受戒者を集めた。
その他に20余寺を開創したという。
隠元の法席を継いだ木庵
木庵さんは恩林寺の開山祖ですが、いつ寺をお開きになったのかなど、詳しいことは分かっておりません。
今、過去の資料を収集し、解明しようとしております。
また事実や詳細が判明次第、お伝えしたいと思っております。
勅命(天皇の命令)によって諡 を与えること。