21.三門建つ
延宝三年四月、隠元老和尚をお祀りする開山堂の棟上げ式が挙げられ、七月に入ると、萬寿塔院が開山堂の右側に建てられました。 同五年の秋には松隠堂の方丈を移し、四方に垣を築いて、開山堂や開山塔を守護するような形にされました。ま...
延宝三年四月、隠元老和尚をお祀りする開山堂の棟上げ式が挙げられ、七月に入ると、萬寿塔院が開山堂の右側に建てられました。 同五年の秋には松隠堂の方丈を移し、四方に垣を築いて、開山堂や開山塔を守護するような形にされました。ま...
禅師が六十三歳を迎えられた延宝元年四月三日、黄檗開山隠元老和尚がお亡くなりになりました。 進龕、 掛真(肖像画を掛けてお祀りする)の法語を述べられました。 禅師は百ヶ日の間、寝床に休まれることなく、昼も夜もお棺の傍から離...
関東地方での黄檗宗の教線は日に日に拡がり、上野に萬徳山広済寺が潮音和尚によって建てられ、また江戸に紫雲山瑞聖寺が鉄牛和尚を住寺として迎えました。 寛文十一年四月、瑞聖寺の伽藍が竣工したのを機に、かねてから心にかけられてお...
寛文七年五月、将軍家から二万両と南海地方の木材チークが下賜され、仏殿を建てることになりました。 青木甲斐守が、黄檗山内に不二庵を新築してここに住まわれ、工事の監督にあたられました。 翌年、大雄宝殿(仏殿)の建築にとりかか...
寛文五年春、木庵禅師によって三壇戒会(当時、黄檗の独特な授戒の式)が開かれました。 これを機に甘露堂が東方丈の後方に創建され、禅堂の修覆、石畳を敷いた道路、二つの倉庫などが建てられました。 七月二十日、幕府から呼び出しあ...
この年の八月二十三日、禅堂が建ちました。 たまたま即非和尚がこの日黄檗山に登って来られましたので、冬の修行期には木庵禅師と即非和尚が東西両堂の首座として五百人近くの修行僧の指導にあたられました。 また、十二月には老和尚に...
先日、家族が萬福寺に訪問しました。一人暮らしの部屋を見せたり、境内を廻ったりと充実した様子でした。部屋を見せた時、壁に貼ってあるアイドルのポスターに圧倒されていました。 しかし、みんなが僕にエールをくれました。 「頑張れ...
恙なく大阪に着かれますと、隠元老和尚はたいそう喜こばれ、その冬の修行期には修行僧たちの首席とされ、また老和尚に代って説法させられました。 明る年の二月に入ると、禅師は老和尚のお伴をされて、新しく日本に開創される黄檗山の基...
破顔、微笑、大笑 「笑う門には福来る。」と申します。不思議なことに幸福な人のところには幸福が集まり、不幸を嘆いている人のもとには不幸が集まります。大いに笑って不幸を吹き飛ばし、幸福を招くことに致しましょう。笑いの表現とし...
今を気張らにゃ 平成八年三月一日、私は京都黄檗山萬福寺五雲居におりました。この日は宗内の僧侶育成のための春季講習会が実施中。その頃の私は二十数年のサラリーマン生活を続けておりました。勤務先のオーナーは裸一貫から身を起こし...