喝!

喝

カツが大好きな恩林寺の小僧です。

不殺生と言いつつも、やはりお肉は美味しいですね。
命に感謝して頂くことは大事ですが、つい当たり前に食事をしていませんか?
当たり前が増えていくと、自分の修行が疎かになっていってしまいます。
そこで喝!(カツ丼のことではありません。)
自分を見つめ直すことが大事になってくるのです。

喝を入れる

昔、部活などで「喝を入れろ!」と言われました。
喝とは大声をあげることを意味します。
掛け声や気合いを入れる時、声を張り上げますよね。
実はこの「喝」、禅宗ではよく使われる言葉なのです。

よく、禅問答や公案を考えていると、不安や迷いが生まれてきます。
これで正しいかな?これが答えかな?真剣に考えれば考えるほど心が落ち着かなくなります。
その状態で、いざ禅問答で答えても、師匠からは「喝!」としか言われません。
しかし、この喝は心の不安を切り裂いてくれるのです。

喝を入れるというのは、決して大声をあげるだけではありません。
自分の悩みや迷いは全て断ち切れ!という意味になります。
不安な時こそ大声を出すと気持ちの良いものです。
ぜひ、困り事がございましたら大声を出してみましょう。

臨済禅師の喝

臨済宗の開祖である臨済禅師は、よく「喝!」と言っておられます。
臨済録(臨済禅師の話を集めた本)の中に数え切れないくらいの喝が出てくるのです。
その中の一節にこのような問いが出てきます。

ある一喝は金剛王宝剣のような凄味があり、ある一喝は獲物をねらう獅子のような威力があり、ある一喝はおびき寄せる働きをし、ある一喝は一喝の働きすらしない。それが分かるか?

私なりに考察してみると…

宝剣は何でも切る事が出来ます。迷いや煩悩も簡単に切ってしまいます。
獅子は獲物を取る前に姿勢を取ります。
その姿勢に勢いがあるように見えます。
また魚を餌で呼ぶように、喝は答えを導く働きがあります。
しかし、答えを導かない(なんでもない)喝も存在するのです。

このような意味になると思います。
喝という一文字は場合によって意味が異なりますが、何かしら自分を導く言葉になるのです。
迷いを切り裂き、やる気の姿勢を作り、答えを導いたり、何の意味もないことが答えになったり…。
ただ喝と叫ぶことで、自分を切り替える良いタイミングになるのです。

勝つ!

昔、私は「喝」を「勝つ」と勘違いしていました。
喝を入れろ!という言葉も、勝とう!という意味に聞こえていました。
しかし、何かしら不安や迷いがあった時、自分に勝てるのは自分しかいません。
だからこそ、喝ではなく、「勝つ!」と叫んでもいいかもしれませんね。

小僧さん

臨済禅師は、よく一文字を好んでいたのでしょうか?
「無」と言ったり、「喝」と言ったり…「空」や「黙」という禅語もあります。
私の賢い頭でも分かるよう…
2文字以上で示して欲しいなぁと思うこともあります。
しかし、きっと一文字でしか表せなかったのでしょう。
私自身も普段の生活に喝を入れて、活発的に行動してこうと思います。

小僧合掌🙏

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恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。