1時間のデートが10分程に感じる恩林寺の小僧です。
楽しい時間というものは、あっという間に過ぎてしまいます。
反対に嫌な時間というものは、倍近くに感じてしまいますよね。
時間が変わるわけではなく、感じ方が変わるだけなんですけどね。
眠れない者には…
眠らざる夜は長く、疲倦せる道は長し。愚かなる者には生死長く、正法をしることなし。
これはお釈迦様の言葉として残されたもの(法句経)の一つです。
これを現代語訳してみると、この様になります。
眠れない者には 夜はとても長い 疲れ切った者には 道はとても長い
愚かな者には 一生はとても長く 人生の正法を ついに知る事はない
ここからも分かる様に、時間とは実に人によって感じ方が異なります。
年を取るにつれ、一年が短くなるとはよく言われます。
子供の時のあの長かった一年と、今の一年が物理的に同じとは思えませんよね?
気の持ちようで
気の持ちようで私達が感じる時間が違うということなのでしょうか?
私は目的を持つことの大切さも、この言葉から感じています。
人生という時間の中で、仏様が説かれた真理を知ろうとしない。
それだけでなく、目の前の快楽を追ったり愚痴ばかりこぼしたり…。
自身の中にある不平不満だらけの人を愚か者だと、この言葉は教えてくれています。
そして、そういった人たちにとっては、人の一生はいたずらに長く感じると伝えています。
快楽の時間
快楽の時間はとても短く感じてしまいます。
そしてその後には必ず倦怠が生じます。
どんな楽しいこともそれに倦み飽きてしまい、残るのは空虚ではありませんか?
私達はそれを繰り返してしまいがちです。
同じ一生を過ごすなら、しっかり真理を求めて生きたら良いのでは?と思います。
仏教における時間の概念
仏教における時間の捉え方は、私たちが日常的に考えている時間とは少し異なります。
刹那
最小単位の時間。
非常に短い一瞬を指し、過去も未来もなく、ただ「今」この瞬間だけが存在すると考えます。
劫
非常に長い時間。
宇宙の成り立ちや滅亡といった、計り知れないほどの長い時間を表します。
法句経の言葉から読み解く時間
法句経は、釈尊の教えをまとめた経典の中で最も古いもののひとつ。
簡潔で力強い言葉で、人生の真理や生き方を説いています。
その法句経には、時間の概念と関連する様々な言葉が登場します。
これらの言葉は、単に時間の経過を指すだけでなく、人生の意味や生き方について深く考えさせられる言葉として、人々に長く伝承されてきました。
今日
現在の大切さを強調し、今日という日を精一杯生きることが大切だと説きます。
老い
老いは避けられないものであり、そのことを受け入れることの大切さを説きます。
死
死は誰にでも訪れるものであり、死を意識することで、人生の有限性を認識し、より深く生きることを促します。
お釈迦さまは、この言葉で何を伝えたかったのでしょうか?
時という概念を物理的に捕らえることなく、感じ方や活用の仕方などの心理的に考えるために説かれたと、私は思っています。
そして、人の一生を正しい真理のために活かし切るということだろうと思います。
とはいえ、なかなか出来ないのも人間の証明かしれません。
しっかりできる様に、恩林寺の観音様に一緒にお願いしましょう。
小僧合掌🙏