当たり前の対義語は有り難い

あたりまえ体操
懐かしいあたりまえ体操

今時を知らない恩林寺の小僧です。

今と昔では違う色々な話題や問題がニュースになることがあります。
その時、「今時は当たり前ですよ!」なんて言葉を耳にします。
果たして「当たり前」とは何でしょうか?

当たり前

この当たり前という言葉には色々な語源があります。
とある学者の有力な説には、こう書いてありました。

分配される分を「分け前」、取り分を「取り前」と言います。
それらは分ける前に1人あたりを計算し、出た数値のことを指します。
それと同様、1人当たりの分量を「当たり前」と言うようになったそうです。
当然、作業に携わった者には当たり前を貰う権利がある。

そういう意味から、現在の意味になったそうです。

つまり、当たり前の語源は「権利」から来ているようです。
しかし、世の中には権利という物を悪用したり、言い訳にしている人たちがいますよね。
そのような方たちは、権利を頂けたことに感謝しているのでしょうか?

権利

例えば、18歳以上の皆さんが持っている選挙権。
最近も内閣総理大臣が決まり、今は選挙の話で盛り上がっています。
大人になり、その権利を当たり前に思っていると、大切さを見失ってしまいます。
ニュースで取り上げられる新18歳の方々には初めて頂けた権利です。
ワクワクした気持ちで選挙に向かうことでしょう。
自分の一票で日本や世界が変わるかもしれないと思えば楽しみになるでしょう。
この様に誰しも必ず権利というものを持っており、権利に囲まれた生活を送っています。
それを当然だと思うのか?有難いと思うのか?
それだけで捉え方が変わってくるのではないでしょうか?

当然と感謝

当たり前の対義語は「有難い」です。
当たり前のことをしてもらった時、ありがとうと伝えられていますか?
誰かがやるのは当たり前だ!なんて思っていないでしょうか?
確かに人によって役割というものがあります。
しかし、その人がいなければ自分がやらなきゃいけないかもしれません。
つまり、感謝以外の何物でもないのです。
他人に何かをしてもらった時、ありがとうと言うのは大切だと思っています。
立場や状況が何であれです。
また、何か行動した人は驕り高ぶってはいけません。
先方からありがとうと言われれば、感謝を頂けたことにありがとうと返すのが良いでしょう。
相手の感謝を当たり前にすると、お高い気持ちが悪くなってしまいます。
ありがとうの連鎖、これが幸せな空間を生み出すのだと思います。

当たり前の語源

実は当たり前という語源を調べていた時、面白い由来を見つけました!
中国から伝わった「当然」が、日本に入った時に「当前」と誤った書き方をしたそうです。
しかし、それが定着し、やがて「当たり前」になったのだとか!
こう見ると言葉って面白いですね。
今はインターネット等でも調べられる良い時代。
当たり前にせず感謝して生きていきたいものですね。

小僧さん

私が中学生の頃だったと思います。
お笑いコンビのCOWCOWさんの『あたりまえ体操』が流行しました。
祖父にその話をすると『あたり前田のクラッカー』というのがあったんだとか。
当たり前にあったはずの祖父との会話は、もうできません。
身近にいてくれた祖父、そこにある当たり前の会話や笑顔…
それこそが感謝すべきことであることを忘れないようにしたいですね。

小僧合掌🙏

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
アバター画像
恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。