和顔愛語
元文部大臣、永井道雄の母として、また、戦前の大衆政治家として活躍した永井柳太郎の妻として、さらには敬虔なクリスチャンとして知られた永井次代さんは、仏教にも造詣が深かったようで、こんなエッセイをのこしています。
和顔
「和顔」は「愛語」とともに道元禅師の言葉である。
和願とは柔和な顔ということであり、人は柔和な心を抱くことなくしてその顔に柔和を表すことはできない。と、教えられている。
私は毎朝、顔を洗うたび自分の顔を見るが、いまだに道元禅師の言われる「和顔」には程遠いと思われるが恥ずかしいことである。
だが、誰の責任でもない。私の心が未だ柔和の域に達していないことの証明だから。
「お前のその面はなんだ。」
三十年前、そういって叱責してくれた亡夫の言葉を私は終生忘れることができないであろう。
修証義
道元禅師の言葉を集約した修証義の中に
愛語というは衆生を見るに先ず慈愛の心を発し顧愛の言語を施すなり、
慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり。
と、あります。
修證義とは、道元禅師の教えを一般の方にもわかりやすく伝えるためのお経です。
『正法眼蔵』から文言を抜き出して編集されています。
明治23年に大内青巒居士を中心とする「曹洞宗扶宗会」がまとめ、それを当時の大本山永平寺貫首滝谷琢宗禅師、大本山總持寺貫首畔上楳仙禅師が改訂し公布されました。
全5章31節で構成されています。
「修」とは実践修行、「証」とは悟り、「義」とは意義という意味です。
和尚の昭和、下岡本を語る
下岡本町。
苔川にかかる橋といえば、まず観月橋でしょう。
先日カーナビを見ながら帰宅途中に「次は観月橋です。」等と平気で言うのにはびっくりしました。
旧家Sさん宅には昔の真光寺様の写生図が残っています。
本堂右手の座敷は月見の座敷と言われるぐらい月見の特等席だったようです。
そこからお寺の前の橋を観月橋と名付けたようで、以前は橋の両向かいに大きな団子、二個がくっついており、月見団子にちなみ団子橋の別名がありました。
あの団子は今もあるのかなあ?とよくよく見るといつの間にか擬宝珠の欄干に変わっていました。
なんて風情の無い、ただ謂れも知らず変えてしまうなんて味気ないなあ。
寺院の階段や欄干の柱の上に設けられている飾り。
地蔵菩薩などの仏像が手に乗せている宝珠から来ているという説があります。
しかし起源は諸説あり、定かではありません。