追善・ 追薦
今は亡き家族のために追善供養することは昔から遺族の務めとされてきました。
追善は追薦と書くのが本来のようです。
薦とは追いかける、薦める、供える、という意味です。
追善とは『良い事をしてそれを自分の功徳にしないで、亡き人たちの功徳にする。』となりましょう。
先祖供養には六つの御供養があります。
① ろうそく(灯明)を灯す。
② お香をたく。
③ お花を飾る。
④ お水を上げる。
⑤ 御飯(仏飯)を上げる。
⑥ 塗香を塗る。
亡くなった方たちにご供養されるのは良いことに違いありませんが、特にお坊さんから読経、回向してもらうことは最も良いことです。
読経という善根を積んでその功徳を亡き人たちに振り向ける追善供養をいたしましょう。
読経は死者への冥福と生者への幸福を同時に与えられる功徳があります。
私たちが暮らす高山市には浄土真宗が多く、御門徒さんの家庭では、お仏壇には赤い経本が何冊も備えられており、家族皆さんが揃ってお経を読むということが行われてきました。
和尚の昭和、下岡本を語る
私たちの若いころ、「明治は遠くなりにけり。」という言葉が流行っていました。
昭和は過ぎて平成令和、時は人を待ちません。
私は昭和とはいっても終戦を知りません。
終戦の時はまだ、おむつをして家の中を這いずり回っていたようで全く記憶にございません。
戦後の混乱期、みんなが大変でした。
町内には同級生は十一人いました。
小学二年のとき、苔川の雁河原橋の少し南に丸太二本を縛り付けたような橋があり雨の日にここを滑つて川に落ち、亡くなった同級生の子がいます。
学校給食が始まってパンやミルクが出ますと
「このミルクはうまいなあ。アメリカから来た脱脂乳とか言うらしいな。」
脱脂乳はバケツに入れたものを各自のアルミの食器に移し替え頂きました。
鯨の肉が魚屋さんに並ぶのはもっと後の話です。
今にして思えば農地改革の混乱で大地主の旦那様がブラジルに新天地を求め移住されたり、旧家のたてうり(家財全てを売り出す)があったり、アメリカからの古着が売買されたり大変な時代でした。
鍛冶橋には傷痍軍人がアコーディオンやハーモニカを奏で、もの悲しい雰囲気でした。
私たち小学生は、空き缶やくず鉄を拾い集め、屑屋さんに買ってもらう(小遣い稼ぎ)をしたものです。
聖者の言葉
臨済さま
おまえ、手もある。足もある。目もある。耳もある。
仏様と少しも変わらないのじゃ。
それを悪く使うなよ。
仏様と同じように使え。
道元さま
自分だけ沢山水を使ってはいけません。
水は仏さまだ。
水を無駄に使う人は仏様を大切にしない人だ。
自分の命が大切なら水の命も大切だ。
住職合掌