錦山神社

錦山神社
錦山神社

やっと訪問できて感動いっぱいの恩林寺の小僧です。

錦山神社は飛騨三十三観音霊場、第7番 神護山 清伝寺さんの奥にあります。

以前から名前も知っていて、神社の近くに友人宅もあるんです。
しかし行ったことがありませんでした。

2025年のGWスペシャル最終回です。

錦山神社

創建時期は不明ですが、伝承によると、古代に物部守屋大連命の親族がこの地に潜居し、その御霊を祀ったのが始まりとされています。

飛騨高山の奥深く、静かに佇む神社には、古代日本の歴史を語る上で欠かせない人物、物部守屋公がご祭神として祀られています。
蘇我氏との宗教戦争に敗れた物部氏一族は、この地に逃れ、守屋公の御霊をひっそりと祀り続けたと伝えられています。

神社の本殿裏には「守屋ヶ洞」と呼ばれる祠があり、かつては「守屋宮」とも呼ばれていたそうです。
この洞窟は、守屋公が潜居し、ひっそりと祀られていた場所であると伝えられています。
飛騨高山だけでなく、諏訪地方にも物部氏の伝承が残っています。
これらの伝承は、物部氏が広範囲に逃れ、各地に足跡を残したことを示唆しています。

物部守屋公とは?

物部守屋公は、飛鳥時代の豪族であり、蘇我馬子との間で仏教受容を巡る争いを繰り広げた人物として知られています。
敗戦後、一族は各地に散り、その足跡は飛騨高山にも残されています。

永禄年間(1558~1570年)に、当時の領主である畑六郎左衛門の家臣、菅茂源左衛門の娘が病気になった際、神の霊験により全快したことを感謝し、祠を建てて祀ったと伝えられています。

錦山神社の御祭神

錦山神社は物部守屋大連命を祀る社と稲荷社が合祀され、明治時代に改称されました。
多くの神々が共に祀られていることから、錦山神社は多様なご利益があるとされ、地域の人々から厚く信仰されています。

物部守屋大連命もののべのもりやのおおむらじ

物部守屋は、飛鳥時代の豪族であり、蘇我馬子と仏教の受容を巡って争った人物。
古代の歴史において重要な役割を果たした人物であり、その霊を祀る錦山神社は、歴史的な価値も高い神社です。

倉稲魂神うかのみたまのかみ

稲荷神として知られ、五穀豊穣や商売繁盛の神様です。

武甕槌神たけみかづちのかみ

武勇の神様であり、勝利や武道の神様として信仰されています。

天児屋根神あめのこやねのかみ

神話に登場する神様で、知恵や学問の神様として知られています。

経津主神ふつぬしのかみ

武勇の神様であり、武甕槌神とともに祀られることが多いです。

姫神ひめがみ

女性の神様であり、安産や縁結びの神様として信仰されています。

吉国社よしくにしゃ

詳細な由来は不明ですが、地域の神様として祀られていると考えられます。

錦山神社の大杉

錦山神社には、樹齢400年を超えると言われる巨大な杉の木があり、地元の人々から神木として崇められています。
樹高50m、幹周は約4.5mにも及ぶ巨木で、その堂々とした姿は見る人を圧倒します。

錦山神社の大杉

天狗様(神様)の住む御神木として古くから大切にされています。
高山市指定天然記念物に指定されています。(昭和49年12月13日指定)

錦山神社の大杉

Gallery

錦山稲荷神社 Gallery

小僧さん

物部守屋は、伝統的な神道を重んじ、外来の仏教が日本古来の信仰を乱すことを懸念していました。
疫病の流行などを、蘇我氏の仏教受容が原因であると主張し、仏像を破壊するなど、徹底した排仏政策を貫きました。
しかし、それも皆さんの幸せを願ってのことではないかと思います。
私も毎日、恩林寺で皆様の幸せを願っています。

小僧合掌🙏

2025年のGWスペシャル

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恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。