目次
つまらない仕事こそまじめに取り組め
予期せぬ異動と募る不満
ある程度経験を積み、結構評価されていると思ったのに単純作業が中心の部署に異動になつた。
アルバイトがやるような作業が気に入らず重い足取りで職場に向かう。
こうした目に遭ったら自分もやる気をなくするに違いない。
武士の心得「葉隠」の教え
しかし、このような時こそ仕事に励むべきだと昔の本「葉隠」というのに出ている。
首尾よくつとめているときは誰もが進んで奉公するものだ。
しかし、つまらない役割を与えられたとき気分を腐らせてしまうことがある。
これはよくないし、もったいない。
雑用すらも「一段と進んで」
結構な役割をこなせる人に、お茶を出せ。水を汲め。飯を炊け。
などと言われても少しも苦にしないで一段と進んで働くのがよい。
組織の中で働いていると希望した部署につけない場合もある。
其の時、自分はどのような態度に出るか?
仕事の内容にかかわらずまじめに取り組もうとする人には、必ず運が向いてくるものだ。
とあります。
私たち年寄りから見ると、確かにその通りだったなあ。と、思い当たることがあります。
若者よ。がんばれ。
和尚の昭和、下岡本を語る
学区再編と賑やかになった北小学校
下岡本町は小学校は北小学校でした。
私たち小学四年生の時、学区が変更になり、以前、西小学校区域の子供たちが編入してきて、生徒数も沢山になりました。
駅裏の古びた校舎、第三中学校での再会
小学校を卒業すると中学は第三中学で、高山駅裏の古びた校舎でした。
ここは北小学校とは比べものにならない大世帯で西小学校卒、北小学校卒みんな一緒でした。
一学年170人ぐらいだったかな。
恩師との出会いと、後の下岡本との縁
担任の先生たちもいろいろ特徴のある先生でした。
後々、下岡本の住人になられる惣則先生、糸田先生など…。
惣則先生は音楽が担当でブラスバンドを率いて大いに活躍されました。
糸田先生が図工の先生でしたが後、下岡本の発展に尽くされました。
昭和三十年代、中山中学校の移転と絶景
昭和三十年代に入ると中山地区開発に伴い、第三中学校は中山中学と名を変え下岡本に移転してきました。
真向かいに乗鞍の峰、眼下に高山の町並み、広大なグランドで素晴らしい施設が出来上がりました。
「北が洞」での遊びと、防空壕に潜む青大将
この場所は北が洞と言って、私が子供のころは孫七山に沿って奥のほうまで細い道路があり、途中には防空壕の跡がありみんなでかくれんぼうなどして遊びました。
防空壕の周りは赤土なので柔らかく穴が開いており、蛇のねぐらになっていて、時々青大将の一メートルぐらいのに出くわしました。
働き者の爺ちゃんと、秘密の山菜畑
北が洞には孫十郎(屋号)さん、長九郎さん家の畠があり孫十郎の爺ちゃんは畑が大切で、いつも畑で見かけました。
山裾には海軍工敞の資材小屋が残っており、周りにはゼンマイが生えるので秘密の山菜畑でした。
道を奥まで入ると冬頭神社の横に出るので川上川へ水浴びに行く近道でした。
飛騨三十三観音霊場巡り
暖かくなってまいりました。
一度に回らなくても時間をかけて何度かに分けてお詣り下さる方があります。
余暇を利用してどうぞお出かけ下さい。













住職合掌