心のありか (続)
さて先号はお母さんにはずいぶんお世話になったなあ。
ありがたいなあ。
このありがたいなあ。こそあなたの心のありかです。ということを伝えました。
しかし、それだけでは心の説明にはなりません。
人間は困ったもので三つの毒を持っております。
生まれたときは純粋無垢であったはずなのに、いつの間にか自分の心に貧瞋痴という毒が住みついております。
貧とは貪り、欲深さ。
瞋とは怒り、癇癪。
痴とは愚痴、不満。
昔からお坊さんたちは、この三毒とどう付きあったらいいのか、悩み、苦しみ、修行してきました。
因果なものを抱えている自分は、どうすればよいのか。
この身このままを、承知の上でお救い下さる阿弥陀様にお任せする。
あるいは心の隙に悪いものが顔を出さないように、ありがたい心を維持する。
正宗寺の東堂さまは時たま申されました。
「あほうになあれ。」
坐禅というと堅苦しいなら、まあ坐りなさい。
壁を向いても、こちらを向いてもよろしい。
正座でも椅子でもよろしい。
背筋をまっすぐに、目は真横。鼻は真直ぐに。
ラジオ体操の最後、大きく息を吸って。
ゆっくり吐いて、これを十回ずつ繰り返す。
何度も、何度も。
これこそ三毒から離れた、ありがたい姿、ありがたいなあ。
あなたは菩薩様です。

貪は鶏、瞋は蛇、癡は豚がそれぞれ象徴する動物と言われています。
和尚の昭和、下岡本を語る
戦後の貧乏な時代、日本中が混乱していたのでしょう。
総理大臣までが国会の席でバカ野郎を言い放ち、解散になるという珍事が起きました。
私たち餓鬼仲間は食べるものを探して中山を走り回りました。
近所の庭先にあるスグリの実、秘密基地近くのバチリンの実、夏はグミ、山には臼ゴミ、イワナシ。
よその畑のスイミツ。
秋は甘柿、よその家にある果物はそれなりに黙認、叱られる。ねだる。
それなりの空気はみんなが心得たものでした。
農家の食事は質素なものでした。
わたしは五人兄弟の真ん中、姉、兄、妹、弟でしたが兄は、長男ということでいつも自分が有利な方に運ぶのでよく喧嘩をしました。
あまりに騒々しいので、三年生の夏休み、私は親戚の家に居候することになりました。
兄は喧嘩両成敗で雲龍寺に預けられました。
喧嘩仲間でもいなくなると少し気になるのでお寺へ訪ねて行くと、意外と神妙にしているので少しかわいそうな気がしました。
私は親戚の家の仏壇の前の部屋で過ごしました。
隣の部屋、二階の全部の部屋には蚕の棚が組んであり一日中蚕が桑の葉を食べるごそごそいう音を聞きながら過ごしました。
おばさんに連れられて畑に行き、トマト畑の草取りを手伝ったり、七日町まで買い物についていったりしました。
七日町は西側地域の買物街で、井端桶や、大下酒屋、山下文具、佐藤菓子屋、下出塩屋。
表タバコ屋、田中魚屋、島建具屋、山下お茶屋、丸田豆腐屋、村田医院と連なっておりました。
七十何年の後に思い返してみますと、なぜか囲炉裏の近くにあつたガラス製の蠅取り器の妙な形が思い出され、あれはよくできていたなア。
叩いても引っ張っても怒らん猫がおったなあ。
なんてことばかり。
住職合掌