自分の心とは
多くのお坊さんたちが、自分の心を捉えるためにはどうするか?そもそもどこに心が存在するかなど永い間、模索し、修行し続けてきました。
一体、どこに心があるのか?
(胸の辺り?)そこは肺でしょう。その隣は心臓。
(お腹の下辺り?)力を入れて踏ん張るとき、少し落ちつくよね。
そこは大腸、小腸、おしっこのタンク。
どうもわからん?
やはり頭かな?頭の後ろかな?前かな?あるはずの心が自分では説明ができません。
少し時間をお借りしましょう。
あなたがこの世でいちばんご縁を頂いたお母さん。
今までずいぶんとお世話になりました。
風邪をひいて寝込んだ時、七五三の時、学校へ入学の時。
お母さんにご縁の少なかった方、命を頂いた時から十ケ月の間に人類何万年の歴史をスピード進化して手足、頭を備えて育てられ今日があります。
これらをゆっくり思い起こしてみましょう。
さて、私はこのご恩に対しどれだけのお返しができたでしょうか。
瞑想、止観、内観、座禅、色々ありましょうが少しだけ自分の心をのぞいてみましょう。
昨日に続き、今日も又、思い起こしてみましょう。
次にはお父さんについて思い起こしましょう。
過去の衝突は、自分の思い、お父さんの思いそれぞれを想い起してみましょう。
時間はたくさんあります。テレビを消してゆっくり、ゆっくり思い起こしましょう。
和尚の昭和、下岡本を語る
もうすぐ桜の季節。
なんだかウキウキしてきませんか?
桜咲く季節。
桜の名所といえばあそこかなあ。
いえいえ、下岡本も桜がたくさん咲いてとても居心地よかった時代があります。
私たちが子供のころ、苔川の土手にはたくさんの桜が植えられており、素晴らしいものでした。
これは昔、権左隠居の爺様、井口 作さんが植えられたものだと聞いておりました。
残念なことに苔川の改修とかの理由ですべて切られてしまいました。
その時の切り忘れなのか一本だけ、観月橋のたもとに残っており、毎年きれいに花をつけます。
松の木
私は大きい木が好きで、ことに松の木に興味があります。
子供の頃は小瀬長五郎さんの庭の松、願生寺様の本堂の前の下がり松など、かっこいいなあ。と思いながら眺めたものです。(今でも健在。)
“松樹千年翠”と言われるように昔のお坊さんは景観をよくするために、将来の子孫のために松を植え成長をを大切にしてきました。
松に限らず樹木には命があり、ことに富士神社にあった大杉が別院再建の理由で切られてしまった時は寂しかったものです。
今は町内あちこちで松の庭木が見られます。
どうか松が老木になるまでお家が栄えますように。
住職合掌