懐かしい写真に赤面した恩林寺の小僧です。
父から突然送られてきた画像が数枚ありました。
なんでもパソコンのデータを整理していたら懐かしくなったんだとか。
彼女には見せられないようなモノだらけ…父に弱みを握られてる?😲
目次
こちらから

その中の一枚です。
「どこで撮影したものでしょうか?」と添えられていました。
見た瞬間に思い出しました。
七宗町神渕にある龍門寺さんです。
臨済宗妙心寺派のお寺で、よく家族で参詣してました。
幼かった私にお寺の中を案内していただいた記憶があります。
何度か伺っていますが、最近は和尚さんにお会いしてないな…お元気だといいな😉
「こちらから」が持つ意味合い
「こちらから」という言葉は、あなたの意思と行動力を示すパワフルな表現です。
主体的な行動の意思表明
相手にアクションを委ねるのではなく、自らがリードして物事を進める姿勢を示しています。
これは、物事を停滞させず、前向きに進める上で非常に重要です。
責任の引き受け
何かを「こちらから」行うということは、その行動の結果に対して責任を持つことを意味します。
もし問題が生じても、他者のせいにするのではなく、自らが解決に当たるという覚悟の表れとも。
関係性の構築
積極的に「こちらから」関わることで、相手との間に信頼関係を築きやすくなります。
常に受け身ではなく、自ら働きかけることで、より円滑なコミュニケーションや協力関係が生まれることがあります。
少し視点を変えて
「こちらから」という言葉を詳細に掘り下げてみます。
すると、単なる場所や方向を示す言葉以上の深い意味が浮かび上がってきます。
それは、自己と他者、そして世界との関係性、主体性。
そして行動の姿勢といった、仏教の根本的な教えと密接に結びついています。
「此岸」としての「こちらから」
仏教にて、「こちらから」という言葉が最も直接的に関連するのは、「此岸」という概念です。
此岸は、私たちが今生きているこの世、迷いの世界、苦しみの世界を指します。
それに対し、彼岸は悟りの世界、涅槃の世界を指します。
「彼岸へ渡る」という表現があるように、「こちらから」は、悟りを目指す私たち自身の出発点、現状の立ち位置を意味します。
この「此岸」という認識は、私たちが現状のあり方を自覚させます。
そこからどのような行動を起こしていくべきかという主体的な問いへと繋がります。
主体性と「無我」の理解
「こちらから」という言葉には、何らかの行動や働きかけの「主体」が含まれています。
しかし、仏教における「主体性」は、一般的な「私」という固定的な自我とは異なります。
仏教の根本思想の一つに「無我」があります。
これは、独立不変な「私」という実体は存在しないという真理です。
諸法無我
私たちは、両親や多くの人々、そして環境との関係性の中で「生かされている」存在です。
自分だけで存在しているわけではありません。
「縁起」の視点
「こちらから」の行動は、必ず何らかの結果を生み出します。
この因果関係を仏教では「縁起」と説きます。
すべての現象は、原因や条件が相互に関係し合って成立しています。
そして独立して存在するものはありません。
善因善果悪因悪果
「こちらから」の行動が、縁(環境や周囲の人々)と結びついて結果を生み出すのです。
したがって、「こちらから」行動を起こす際。
その因となる自分の行いを深く反省し、良い結果に繋がるように努めることが重要となります。
「こちらから」行った善い行い(因)は善い結果を生み出します。
悪い行い(因)は悪い結果を生み出します。
自他一如と利他の精神
「こちらから」行動する対象は、多くの場合、他者や社会です。
仏教では、「自他一如」という考え方をします。
この「自他一如」の理解から生まれるのが、「利他」の精神です。
利他とは、「他を利する」、つまり自分以外の他の人を喜ばせる、幸せにする行為や思い。
仏教では、「自利利他」という言葉が使われます。
他者を幸せにすることが結果的に自分自身の喜びや幸せにも繋がることを説いています。
「こちらから」他者に対して慈悲の心を持って行動すること。
それは、単に他者を助けるだけでなく、自分自身の幸福感をも高める普遍的な智慧です。
慈悲の実践
「こちらから」の行動は、具体的な「慈悲」の実践へと結びつきます。
慈悲とは、他者の幸福を願い(慈)、他者の苦しみを取り除こうとする(悲)心の状態。
これは単なる感情だけでなく、具体的な行動を伴うものです。
仏教では、無財の七施という、財がなくてもできる慈悲の実践が説かれています。
- 迷いの世界(此岸)に生きる自身の現状を自覚し、悟りを目指す出発点であること。
- 固定的な自我(私)に囚われず、すべてが繋がりの中に存在する「無我」の視点から、より大きな生命との関係性の中で主体的に行動すること。
- 自らの行動が縁起の理法に基づき、必ず結果を生み出すことを認識し、善い因を積むよう心がけること。
- 自分と他者が本質的に一つである「自他一如」を理解し、「利他」の精神をもって他者の幸せを願うこと。
- その願いを「慈悲」として、具体的な行動へと移していくこと。

「こちらから」という龍門寺さんで出会った言葉。
それは自己を深く見つめ、他者と世界との繋がりを認識する。
そして積極的に善き行いを実践していく。
まさに仏教の智慧と行動の姿勢が凝縮されていると言えます。
小僧合掌🙏
「自分と他者は本質的に一つであり、区別がない」という思想です。
物理的には異なる存在であっても、本質的には繋がっており、他者の喜びや苦しみを自分のことのように感じ取る心が育まれます。