怪物くんに似ている恩林寺の小僧です。
氷見市を訪れた際に偶然見つけた光禅寺。
門の奥に見えた漫画の石像に誘われるように足を運んだのでした。
目次
漫画家・藤子不二雄A先生ゆかりの地
光禅寺は曹洞宗のお寺で、あの藤子不二雄A先生(本名:安孫子素雄さん)のご実家だそう。
門をくぐろうとされた際に、地元の方から温かいお声がけが。
偶然の出会いから、藤子不二雄A先生の幼少期のエピソードを知るきっかけになりました。
住職の長男として生まれた先生が、幼くして父を亡くしたそうです。
その後、高岡市で藤本弘先生(後の藤子・F・不二雄先生)と出会います。
そして漫画家としての道を歩み始める。
その背景には、地元の方の「長男はお寺を継がなければならないという気持ちがあったと思うよ。でも自分の夢を追いかけたことで人生に花が咲いたんよなぁ。ある意味、坊さんにならなくて良かった方なんやろなぁ。それもご縁やね。」という言葉が心に響きます。
まさに、人生の「ご縁」について深く考えさせられますね。
成功も失敗も、出会いも別れも、すべては巡り合わせ。
その一つひとつのご縁が、私たちを今、生かしているのだと改めて感じさせてくれます。
能登半島地震からの復興
しかし、光禅寺が置かれている現状は、能登半島地震の傷跡を深く残しているとのこと。
漫画の石像は無事だったものの、他の石造物は倒れ、お寺は傾き。
歴代住職のお墓も倒壊していると知り、心が痛みます。
海に近いがゆえの液状化現象は、地震の壮絶さを物語っています。
現在は復興の途上であり、檀家さんのお墓から優先して修復を進めているというお話。
困難な状況の中でも地域と人々を思う温かい心が伝わってきます。
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ご縁
ご縁とは、人と人との繋がりはもちろんのこと。
他にも物事や出来事との巡り合わせを指す言葉です。
これは仏教に由来する考え方。
単なる偶然ではなく、すべてに意味があるという思想が根底にあります。
少し例を上げてみましょう。
人とのご縁
友人や恋人、家族との出会い、仕事での同僚や取引先との繋がりなど。
これらの人との出会いすべてをご縁と捉えることができます。
一度きりの出会いも、生涯続く関係も、それぞれにご縁があります。
物事とのご縁
欲しかったものが偶然手に入った、探していた情報がふと目に留まった。
他にも偶然通りかかった場所で新しい発見があった、などもご縁と言えるでしょう。
出来事とのご縁
成功や失敗、喜びや悲しみといった人生で起こるさまざまな出来事。
これもまた、ご縁として受け止めることができます。
一見すると不運に思える出来事も、後の自分にとって重要な意味を持つことがあります。
ご縁を感じる瞬間
ご縁を感じる瞬間は、人それぞれ、そして状況によって様々ですよね。
普段の生活の中で、ふとした瞬間に「これってご縁かも?」と感じる…
それは、とても素敵なことです。
たとえば、こんな時に「ご縁」を感じるかもしれません。
思いがけない出会い
偶然訪れた場所で、意気投合する人に出会ったり。
たまたま手に取った本が今の自分に必要なメッセージをくれたり。
まさに「袖振り合うも多生の縁」というように、予期せぬ出会いの中にこそ、深いご縁を感じることがあります。
困難を乗り越えた時
何か大きな壁にぶつかった時、不思議と助けてくれる人が現れたり。
また状況が好転するきっかけとなる出来事が起こったり。
まるで導かれるかのように道が開けた時、「これまでの経験が全て、この瞬間のためにあったんだ」と感じ、ご縁の力を実感するかもしれません。
長年の夢が叶った時
ずっと心に温めていた夢や目標が、予期せぬ形で実現した。
そんな時も、「ご縁」を感じる瞬間と言えるでしょう。
これまでの努力や積み重ねはもちろんですが、それを後押ししてくれた人との出会いや、タイミング、巡り合わせが、まさに「ご縁」だったと感じられるはずです。
日常の中の小さな奇跡
普段何気なく過ごしている中で、探していたものがひょっこり見つかったり、考えていたことが現実になったり。
そんなささやかな出来事にも、実は「ご縁」が隠されていることがあります。
見過ごしてしまいがちな日常の小さな奇跡に気づく時、心が温かくなりますよね。

光禅寺で経験した偶然の出会い、藤子不二雄A先生の人生とご縁。
そして能登半島地震の被害と復興への道のり。
これらすべてが、心に深く刻まれる感動的な体験となったと思います。
一つのこ゚縁が、多くのこ゚縁へと変わっていくのかもしれません。
ぜひ恩林寺にて仏縁と小僧縁🙄を…
小僧合掌🙏
ご縁は、目に見えない糸で結ばれているようなもの。
時には予期せぬ形で私たちに影響を与えます。
このご縁に気づき、感謝する。
それだけで、人生をより豊かに捉えることができるのではないでしょうか。