目次
大鵬和尚の驚き
池大雅と大鵬和尚の出会い
明和の頃(1760年代頃)、中国より来朝され黄檗山萬福寺の住職となられた大鵬和尚は、池大雅を呼んで東方丈(書院)に中国西湖の風景を描かせました。
想像力から生まれた飛来峰
大雅はもちろん西湖など見たこともありません。
和尚の話を聞きながら構想を練ったと思われます。
上方に峰一つを描き足すのを見て(大鵬和尚は)驚き、「この山は飛来峰というのです。私はあの国に生まれ、あの峰辺りで昔はよく遊んだものです。しかしこの国の人はどうして話だけでこのような作品ができるのか?」と大変驚き、またお褒めになったといわれております。
(この西湖図は現在、掛け軸に表装され萬福寺に保存されております。)
広がる大雅の才能と結ばれた縁
その後、池大雅は、五百羅漢の大作を描き(これは京都国立博物館に寄託)他にもたくさんの作品を残しております。
これも大鵬和尚と大雅さんとのご縁というものでしょう。
飛騨に届いた黄檗の墨跡
数年前、飛騨市のある方から「このお方は黄檗の和尚さんのお筆ではありませんか、よろしかったらお寺で残してくれませんか。」との申し出に有難くご寄贈いただきました。
昭和の和尚、下岡本を語る
郊外の発展と向陽園の誕生
昭和二十年代末から三十年代初めにかけて郊外も西のほうが注目されだしたのか、まず老人施設の向陽園ができました。
小高く盛り土した上に何棟もの建物が並び、景観が一新しました。
職員の方々も私達近隣にも仲良くしていただきました。
伊達園長先生と温故知新の教え
園長先生は称讃寺の住職伊達正夫先生でした。
いつもニコニコ気さくな先生で玄関正面には『温故知新』と大きな字が書いてあり「先生、これなんて書いてあるの?どういう意味?」
「これはな、昔のお偉い人の言葉でな、岐阜県の武藤嘉門という方の書かれたものや。あんたも大きくなるとわかるようになるでな…。」
なるほど近年ようやく少し意味が分かるような気がいたします。
古きを温め、新しきを知る…か。
CBC高山放送局の開局と晴れ舞台
向陽園ができると間もなくCBC高山放送局が開局します。
私ら四年三組は学校で始めて器楽部ができ、開局記念、特別出演で、荒城の月、クシコスポストを演奏してきました。
アナウンサーのお姉さんは美人でおちゃめな人でした。
下岡本の夜明け
みんなで近くの坂で竹スキーをして遊びました。
スタジオの近くには鉄塔が立ち赤い電気がともりました。
まさに下岡本の夜明けです。ちなみにこの時のスタジオが七十年後の今も健在です














黄檗山を二度にわたり導いた第15代・18代住持、大鵬正鯤。
竹画の名手として「竹の大鵬、梅の紫石」と並び称されたその筆致は、清廉で迷いがありません。
風に吹かれてもしなやかに折れない竹の如きその生き様は、混乱の時代に二度も山を託されるほどの深い信頼を集め、今も黄檗の地に気高い香りを遺しています。