頭陀袋150 令和6年12月号

再建された大仏殿
再建された大仏殿

大願を成就する

時は江戸時代、黄檗宗の鉄眼てつげん禅師と東大寺の公慶こうけい上人、曹洞宗の卍山まんざん禅師が集い、思いを語り合ったそうです。

鉄眼禅師

私は日本ではまだ発行されていない『一切経』を開版したいのです。

公慶上人

東大寺の大仏様は永禄の乱で火災にあってからすでに百年もの間風雨にさらされたままです。
まことにもったいない。
もしできるなら大仏殿の再建を願っているのです。

卍山禅師

我が曹洞宗は永年のうちに道元禅師の教えが道をそれてしまいました。
わが宗旨を道元禅師の初心に戻って見直す事に身を投じたい。

鉄眼禅師のご苦労についてはさきに頭陀袋(111号)で紹介いたしました。

公慶上人は

公慶上人は江戸幕府から勧進の許可を得て、「それ、奈良の大仏は、天下の大仏にして我が物にあらず。」と言い放ちますと、両親はすべての財産を公慶上人のために寄付して彼を励ましたと伝えられております。
彼の一点の私利私欲の無い熱意に感動した人々は富めるものも貧しいものもそれぞれの力に応じて寄付に応じてくれたのでした。
また、大阪の商人が寄付してくれた銅隗、三千個を旅人が奈良まで運んでくれたといいます。

三人のお坊さんは

観音様の行というのはこうした生き方や、実行力を言います。
凡人のできることではありませんが、人間の中には、無我の行。
無相の働きを支えるのは清浄な願心なのです。
こうして三人のお坊さんは大願を成就されたのです。
そこには深い信仰心が根底にあることを見逃してはいけません。

和尚の昭和、下岡本を語る

あるお檀家さんから、「頭陀袋、読んでるよ。和尚さんの子供のころは大変やったんやな。」
「いや、そうでもないさ。
近頃の人たちのように朝から晩までスマホに振り回されておるわけでもないし、小遣い貰って遊びほうけるわけでもないのでのんきなもんよ。
小学一年の時、学校でのど自慢大会があって先生から、「なんか歌え。」と言われたので、毎日おふくろが歌っていた、今日も暮れゆく 異国の丘に友よ辛かろ  せつなかろ と歌いだしたら、先生が慌てて駆け寄ってきた。
あの時はおもしろかったなあ。

ヤギ

我が家では妹が生まれたが乳が足りなかったのでヤギを飼うことになりました。
ヤギというのは、犬に比べ愛想がない。
草を与えても嬉しそうな表情もしないで、ただガツガツ食べる。
時々逃げだして他所の畑に入る。
それでも、夏のうちに刈り取った干し草に、精米所からもらってきた米ぬかを混ぜて、少しお湯になじませると、これはヤギも喜んで食べました。
憎らしいけど、なんかかわいいとこもあるヤギでした。

遊び友達

遊び友達は一丁先のかっちゃんこと勝三君。尾前君。
尾前君の家の裏山は削り取られていてそこに小さな穴が開いていて中をのぞくとガマガエルが生息していました。(ガマガエルのこと、ドウサイともいったな。)
あの、ガマの油のガマ。「何か用かな?」
ガマはクルクル目玉でぎろり。
今はガマガエルなど見たくてもお目にかかれません。
まさに昭和の生き物ですナ。

古田住職

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。