摂心という修行
毎月1日から5日、自分の心と向き合う時間という意味で、摂心という修行があります。
私たちは普段、作務中心の生活を送っています。
しかしその期間中は座禅中心の生活に変わります。
じっとすることが苦手な私には、苦痛に感じました。
摂心が始まった…
1日目は早朝から長いお経を読みます。
ついに摂心が始まったと絶望…。
お勤めをして、座禅生活がスタートします。
摂心中はご飯と法要の時間以外は座禅をしなければなりません。
体を横にすることも禁止されています。
しかし座っていると眠くなったり、足が痛くなったり。
振り返ると普段の面倒くさい作務が有難く感じます。
しかし作務をしていると、座っているだけで時が過ぎることが羨ましく感じます。
つまり、私たちは『無い物強請り』といった欲の塊だと気付かされます。
同夏に座禅すら組めない程、体が硬い者もいました。
先輩に叩かれ、肩も足も痛みに耐える同夏に私も励まされました。
最終日
5日目の夜。
茶礼を行い、摂心が終了します。
茶礼とは全員集まり、お茶を一口ずつ飲み合う儀式を指します。
この時、やっと終わったという安堵感が訪れるのです。
ずっと我慢していたお風呂や布団に入る時、幸せを実感します。
何気ない生活が有難く映るのは、自身の心と向き合えたからだと思っています。
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