【第三章 十一節】 月例摂心

【第三章 十一節】 月例摂心
【第三章 十一節】 月例摂心

摂心という修行

毎月1日から5日、自分の心と向き合う時間という意味で、摂心せっしんという修行があります。
私たちは普段、作務中心の生活を送っています。
しかしその期間中は座禅中心の生活に変わります。
じっとすることが苦手な私には、苦痛に感じました。

摂心が始まった…

1日目は早朝から長いお経を読みます。
ついに摂心が始まったと絶望…。
お勤めをして、座禅生活がスタートします。
摂心中はご飯と法要の時間以外は座禅をしなければなりません。
体を横にすることも禁止されています。
しかし座っていると眠くなったり、足が痛くなったり。
振り返ると普段の面倒くさい作務が有難く感じます。
しかし作務をしていると、座っているだけで時が過ぎることが羨ましく感じます。
つまり、私たちは『無い物強請ねだり』といった欲の塊だと気付かされます。
同夏に座禅すら組めない程、体が硬い者もいました。
先輩に叩かれ、肩も足も痛みに耐える同夏に私も励まされました。

最終日

5日目の夜。
茶礼されいを行い、摂心が終了します。
茶礼とは全員集まり、お茶を一口ずつ飲み合う儀式を指します。
この時、やっと終わったという安堵感が訪れるのです。
ずっと我慢していたお風呂や布団に入る時、幸せを実感します。
何気ない生活が有難く映るのは、自身の心と向き合えたからだと思っています。

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恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。