15.日本黄檗山の開創
恙なく大阪に着かれますと、隠元老和尚はたいそう喜こばれ、その冬の修行期には修行僧たちの首席とされ、また老和尚に代って説法させられました。 明る年の二月に入ると、禅師は老和尚のお伴をされて、新しく日本に開創される黄檗山の基...
恙なく大阪に着かれますと、隠元老和尚はたいそう喜こばれ、その冬の修行期には修行僧たちの首席とされ、また老和尚に代って説法させられました。 明る年の二月に入ると、禅師は老和尚のお伴をされて、新しく日本に開創される黄檗山の基...
禅師と即非和尚とは殊に仲が良く、お互いに詩偈を作りあったり、舟で沖に出て語りあったり、福済寺と崇福寺を相互いに訪れあったりされました。 また、お二人で盛んに禅の教化にしたので、長崎の人たちは二人を仏教界の二甘露門と稱んで...
慧明寺に住持されてから一年余りたった頃、隠元老和尚から、 海を渡って日本に来て教化の手伝いをするように と親書が届けられました。禅師は、 と言って、四十五歳の夏七月九日海を渡って長崎に上陸、出迎えられて福済寺にお入りにな...
太平寺は滴たるばかりの翠の山々に囲まれていました。 禅師は座禅の余暇には田植えをされたり、野菜の種子を蒔かれたり、畚を負って土を運んだり、薪を採ったりされて、悟後の修行を積まれました。 隠元老和尚はあなたにどのような禅法...
ついで西堂という重い役に就かれた禅師は、 と問われ、そのあと、禅師と隠元老和尚は問答を交わされ、禅師が法を嗣ぐにふさわしい禅者であることを確りと認められました。 翌年の立春の日、禅師は老和尚に代って秉払説法を行なわれ、春...
かつて費隠老和尚のもとでお目にかかったことのある隠元老和尚が黄檗山で住持されていました。 禅師は黄檗山に登って足をとどめられました。 ある日、「燃えさかる焔のなかに身を横たえる、そうした場合についてお教え下さい」とお願い...
翌年には再び用庵和尚と西湖へ行脚に出かけられ、そこで若庵和尚に、また竜門で三宜和尚に、また保寿で石雨和尚に、と次々に相見(会う)されて禅問答を 交わされました。 たまたま費隠老和尚が金粟山に来ておられると聞かれ、馳けつけ...
二十七歳になられて禅師は永覚和尚の下で、教えに従って十三日を限って、昼夜を分かたず寝食も忘れ坐禅に打ち込まれました。 すると二日目には夕暮れ時のような気持になられ、三日目を迎えますと、急に体中が軽くなり、澄み切ってきまし...
まず杭州の接待寺で雪関和尚にお目にかかって禅問答され、ついで龍樹寺で雪松法師の楞厳経の講義を聞かれましたが、悟ることができず悶々とした気持がますばかりでした。 ある日修行仲間の禅友にそのことを打ちあけられました。 と。す...
ある日の夕暮れ、坐禅しておられますと、にわかに金色の蓮の花から何ともいえない香りが漂って来て弥陀庵いっぱいにあふれ、禅師の身も心も晴れ晴れとし身体じゅうから白い汗が雨のように噴き出してきました。 禅師が、これは決して仏の...