運動の秋が、運動に飽き…恩林寺の小僧です。
この秋、ただ体を動かすだけでなく、あなたの心と体、その両方を深く整える方法があります。
それが、古来からの知恵「身心一如」を日々の運動に取り入れることです。
健康志向が高まる現代において、私たちはつい「体だけ」「心だけ」のケアに偏りがちです。
しかし、本当に豊かな毎日を送るための鍵は、その両者が一つであると知ることにあります。
目次
身心一如 身体と心は切り離せない
まず、身心一如という言葉の土台を押さえましょう。
身心一如とは?
身心一如は、仏教や禅の教えに根ざした言葉です。
文字通り、「身(体)」と「心」が一つ(如)であるという意味を持ちます。
これは、「体と心は別々のものとして捉えるべきではない。どちらか一方に起こったことは、必ずもう一方にも影響を与える」という、一体不可分の関係を示しています。
たとえば、心が張りつめているときは、体も硬くなりがちです。
逆に、体を深くリラックスさせれば、心も自然と落ち着きを取り戻すのです。
運動が心を映し、心が体を導く
単なる「つながり」を超えて、身心一如は私たちの行動や意識の本質を教えてくれます。
運動の秋と身心一如
なぜ、運動の秋にこの考え方が重要になるのでしょうか。
運動とは、体を動かす行為そのものです。
しかし、身心一如の視点に立つと、運動とは「心」を「体」を通して表現する行為であり、また「体」の動きによって「心」を調律する機会でもあります。
つまり、私たちが運動から得られる効果。
それは、筋肉量や持久力といった物理的な変化だけではありません。
心の状態という質的な変化にも深く関わっているのです。
歩く禅の実践
では、忙しい現代人が日々の生活の中で、この教えをどう活かせば良いでしょうか。
鍵となるのが、最も身近な運動、「歩くこと」を意識的に行うことです。
歩く禅(経行)とは
禅の世界には経行と呼ばれる、座禅と座禅の間に行う歩行の修行があります。
これが「歩く禅」です。
これは、ただの休憩のための歩行ではありません。
歩く一歩一歩に全意識を集中させることで、動いている状態でありながら、静かな心の状態(瞑想状態)を保つことを目的とします。
日常の「散歩」を歩く禅に変える
いつもの散歩や通勤も、以下の意識を持つだけで、心身を整える実践へと変わります。
| 項目 | 通常の散歩 | 歩く禅(身心一如の実践) |
|---|---|---|
| 意識の焦点 | 目的地、今日のタスク、過去の出来事など | 足の裏の感覚、呼吸、体の動き |
| 歩くペース | 早足、スマホを見ながらなど、雑念と一緒 | 一定のリズム、心地よいゆっくりとしたペース |
| 呼吸 | 無意識、浅くなりがち | 深く、長く、腹式呼吸を意識して行う |
具体的な実践のコツ
質の高い「今」を生きる力
身心一如の考え方を取り入れた運動、特に「歩く禅」を実践する。
そのことで、私たちは目に見える健康効果以上に、計り知れない恩恵を受け取ることができます。
ストレスの軽減と心の安定
歩く禅は、脳を休ませるマインドフルネスの実践の一つです。
体の動きに集中することで、私たちは過去への後悔や未来への不安から意識を「今、ここ」へと引き戻すことができます。
この「今」への集中。
それこそが、心のノイズを静め、ストレスホルモンの分泌を抑えることが分かっています。
集中力と生産性の向上
散歩を通じて心身をリセットすると、その後の仕事や学習に対する集中力が格段に向上します。
単に体を休めただけでなく、心の焦点を定める練習をしているため、脳がより効率的に働くようになるのです。
真の健康と幸福感
体と心が調和した状態は、免疫力の向上や睡眠の質の改善にも繋がります。
何より、自分の心と体が一体となって「今」を動いているという感覚は、自己肯定感や深い幸福感をもたらします。
これは、単に痩せる、筋肉がつくといった効果だけでは得られない…。
人生の質(QOL)そのものを高める恩恵です。
秋の日の「歩く禅」で感じる、五感を満たす景色
経行における秋の景色は、単なる美しい風景ではありません。
それは、心が静まり、五感が研ぎ澄まされた状態(身心一如)だからこそ見えてくる世界です。
歩く禅で一歩を踏み出すたび、あなたは単に紅葉を見ているのではなく、「今、ここに存在する自分の心」が、外界の美しさと完全に調和している状態を体験しているのです。
目に焼きつく錦繍
経行で歩くとき、意識は足の裏と呼吸に集中しています。
しかし、視界の片隅に映る色彩は、驚くほど鮮やかで立体的になります。
一歩に込められた大地との対話
経行では、視線はやや足元に落とすのが基本です。
カサカサと乾いた落ち葉の絨毯。
意識を集中して一歩踏み出すたびに、足の裏から伝わるパリッという小さな音と感触。
道端に落ちたドングリなど足元の小さな世界が、驚くほど豊かに見えてきます。
心に生まれる「間」と「余白」
ふとした瞬間に視線を上げる。
すると、秋特有の澄んだ空気と高い空が、心の広がりを感じさせてくれます。
雲一つない青く澄み切った空。
その広大さが、小さな悩みや雑念を吹き飛ばし、心に大きな余白(スペース)を生み出します。
「今、ここ」の繊細な光景
歩く禅の集中状態では、普段見逃してしまうような繊細な光景が、まるで芸術作品のように目に留まります。
低くなった秋の太陽の光が、ススキの穂を黄金色に縁取り、キラキラと輝いている瞬間。
木々の間に張られた朝露をまとった蜘蛛の巣。
命の営みの繊細さと、それが一瞬の光によって美しくなる儚さなど。













私たちは、体と心という二つの側面を持ちながら生きています。
この秋、その両方を最大限に活かし、深い健康と心の安定を手に入れませんか。
身心一如は、特別な場所や時間を必要とする教えではありません。
それは、日々の「散歩」や「運動」の中にこそ息づいています。
さあ、今日からあなたの「歩く」を、心を整える禅の修行へと変えてみましょう。
一歩一歩があなたの心と体を結びつけ、充実した毎日へと導いてくれるはずです。
まずは、明日の一番近い散歩や移動で、「足の裏の感覚」に3分間だけ意識を集中することから始めてみませんか。
その小さな一歩が、あなたの人生をより豊かに変えるきっかけになるでしょう。
小僧合掌🙏