噺家のご縁
話下手の私はなんとか人並みに話ができないものかと、ご坊さま(東本願寺高山別院)に出かけたり、よそ様の行事を見学させてもらったりしておりました。
そんな折に、毎月寺報を発行しておられる蓮乗寺様が落語の会をされるとのこと、早速、仏具屋さんに頼んでチケットを入手。
(住職さんはすごいなあ。噺家に伝手があるなんて。噺家は大谷大学卒?住職さんと同期かな?)
物知り住職さんに変わって少し噺家、ご縁話を。
噺家の元祖とは?
地元ではあまり知られておりませんが実は高山城主、金森長近公の弟で安楽庵策伝と申されます。
天文二十三年、美濃生れ、七才の頃、岐阜浄音寺で出家。
浄土宗西山派の僧となり、僧名を策伝日快と言いました。
十一才の時、京都東山禅林寺(永観堂)智空和尚に師事、二十五歳頃から山陽地方に旅に出て、熱心に布教活動をしました。
この間に開山したお寺は七ケ寺といわれています。
その後七十才の時、周りの薦めにより「醒睡笑」を完成しました。(この説法録が後々、落語の教本となりました。)
八十九歳まで長生きし、京都誓願寺に塔頭、竹林院を建て茶室、安楽庵に隠居して優雅な老後を送りました。
肝心の落語会の話
金森公と策伝さんの因縁話となりました。
え?落語会?面白かったよ。まあ、庶民の話。
高山はご縁があるから、また来ます。とか言ってたなあ。
和尚の昭和、下岡本を語る
小学四年夏、先輩から私のところに、新聞配達をしてみないか?とお誘いがあり、下岡本町地区五十数軒を受持ちました。
毎日、放課後に学校の小使室に子分けした新聞をカバンに入れて小走りに配達します。
配達区域、 南は家畜保健所(現在のJA葬儀場)から北は竹田の湯まで、西は恩林寺から東は伊達養鶏場まで、配達の楽しみは朝日新聞のサザエさんの漫画を、ちょっと
お先に失礼。
新聞は中部日本新聞の他に朝日新聞三部だけ。
その頃、朝日新聞の読者に景品としてサザエさんの土瓶を送られてきたので、これを配達するのが自分の役目。
自分も欲しいなあ。と想ったがそこは我慢。我慢。
この頃は村では牛を飼っている家がたくさんで、田んぼの作業は牛が活躍しました。
我が家ではヤギを飼いその乳で栄養補給をしました。
親父はニワトリを飼うのが得意で二十羽のうち卵が十七個取れた時が最高だったように思います。
ただ残念なことに、夜のうちにニワトリごと持ち去られることがありました。
お盆の棚経のご案内
- 8月11日(日)中山地区・下岡本町恩林寺周辺 山田町・緑ケ丘方面
- 8月14日(水)川西 (宮川より西の地区)
- 8月15日(木)川東 (宮川より東の地区)
- 8月16日(金)上野平・古川・国府方面
旧下岡本は8月31日・9月1日を予定しております。
住職合掌