頭陀袋033 平成27年3月号

目がものをいう。

話をする、ということは難しいことです。

井戸端会議や雑談を得意とする人でも改まって人前での話となるとなかなか難しいようです。
世の中、どちらかといえば能弁な人より、口下手なひとのほうがおおいのではないでしょうか?
中には人前ではほとんど口のきけない内気な人もおられます。
そのような人と話をするのには言葉より、むしろ体全体を通して、心の窓である目の動きや輝きに、そしてそのうるおいに注目したいものであります。

仏教では(布施)を、大切な修行としています。
布施行には「無財の七施」があり、その一つに「眼施」というのがあります。
これは、人には良い眼をして接するということであります。
べらべらしゃべるよりやさしいまなざしで人に接することができたらどんなに素晴らしいことでしょうか。
目を見ればその人の心がわかるとか、目は口ほどに物をいいとか、むかしから言われていますがまさにそのとおりであります。
眼は心の現れなのですから。
幼児の、あの澄んだ綺麗な眼、それに引き替え、大人のどんより濁った眼、とりわけ悪心に満ちた人の眼は恐ろしささえ感じます。

また、次に和顔施というのがあります。
いつも優しい顔、微笑を絶やさぬ顔をした人に接すると、自分まで心が穏やかになります。
これも、布施行のひとつで大切なことであります。
しかし、人間は常に感情の起伏があり、いつもこのような状態を保つことができません。

眼や顔は言葉ではありませんが、言葉以上に重要なものであります。
眼は心の窓、思いやりの窓と言われています。
たとえば、口もとは笑っていても眼が笑っていないのは本当にうれしくないかもしれません。
また、反対に表情は済ましていても、眼がおかしそうに笑っていることもあります。

感激して胸が熱くなり、言葉が出ないときもあります。
その時の眼は何よりも雄弁に、心の中を語ってくれていることでしょう。
眼がものをいうことは素晴らしいことでありますが、私たちは言葉だけに頼らず、こうしたからだ、とりわけ、目や顔に注目し思いやりの心を持ちたいものです。

彼岸会・涅槃会の御礼

三月二十二日、 関市・正渓寺様、各務ヶ原市・清見寺様、東山・宗猷寺様をお迎えして、春の彼岸会、涅槃会をお勤めすることができました。

また、 古川町、西野彰さんに[落語]を聞かせていただきました。お忙しい中、お寺にお運びいただきましてありがとうございました。涅槃会のお供えとして京都、田丸弥の花供曾(はなくそ)というあられをお持ち帰りいただきました。京都、真如堂では涅槃忌に参拝者にお配りし、お釈迦様の御縁としているそうです。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。