他人のせい

言い訳が嫌いな恩林寺の小僧です。

最近、迷惑な行動をしたというニュースが多くなっています。
醤油を舐めたり飲んだり、口をつけた箸を戻したり…。
数え切れないくらいインターネットに出回っています。

このニュースの大半は、「迷惑行為を録画した動画」を友達の中で見せ合っていることから発覚しています。
きっと罪の重さも知らないのでしょう。
若気の至りであるとはいえ、やってはいけないことが分からない世の中に少し寂しさを感じます。

迷惑行為をした本人はきっと、動画をインターネットに掲載した人や、動画を撮って友達に回した人を恨むでしょう。
その人が動画に出てる訳でもない、多くの人に見られた訳でもないのですから。
しかし、動画の登場人物ばかり批判されるのです。

動画を共有した人のせいにしたくなる気持ちも分かります。

人のせいにしない

仏教では、人のせいにしてはいけないと言っています。
上司に話しかけられたから作業が遅くなった。
友達と遊べないから勉強したくなくなった。
先輩に怒られるから早く起きて門を開けに行かなければならない。(←これは僧堂での私です。)
このように他人のせいにする人がいます。
しかし、自分にとって良いことがあると、「私が頑張ったから」と自分のお陰とするのです。
これは少しおかしいのではないでしょうか?

お釈迦様の言葉

他人の良くないところはよく見えるけれど、自分自身の良くないところは見えにくい。
こんな言葉があります。
私達の欲は想像以上に深いものであります。
自分の利益が一番になり、他人が得た利益は自身の損と考えてしまうこともあります。
それ故に色眼鏡で見てしまい、他人のせいにしてしまうのでしょう。

何か出来ない時は、私がミスしたから。
何か出来た時は、誰かが助けてくれたから。
このように思えたらきっと、不満も堪らず、感謝が増えるのではないでしょうか?

感謝をする

何か嫌なことを押し付けられた時、イライラしたり落ち込んだり…。
また誰かを憎むことがあると思います。
実際に僕も怒りたくなったこともありました。
しかし、誰かが嫌だと思ったことをさせて貰っている。と思ったらどうでしょうか?
私が頑張る代わりに誰かの苦しみを救ってあげたと思えれば、それが施しに繋がると思います。
そして、その施しが出来たことに感謝できれば、更に良いと思います。
トイレ掃除は汚いし、嫌だなぁと思っているよりトイレを綺麗にすることで、使用する人が心地よく使えるならば、こんなに良い施しは無い!と思っていた方が心が明るくなると思います。
といっても、実際にそんなに考えられません。
やはり、嫌なものは嫌です。
ならば、この嫌な物事が自分を成長させているんだと思って頑張るのも、一つの手では無いかな?と個人的に思っています。

報恩・知恩

先日の記事にも記載しましたが、仏教には報恩と知恩という言葉があります。
知恩とは『頂いている恩に気づく事』報恩とは『自身も誰かに恩を与えること』です。
私たちは様々な場所で、色々な事で恩を頂いています。
まずは「ありがとう」と感謝して恩を知り、それらを誰かに送り続ける…恩の循環、こんな世界になったら素晴らしいですよね。

小僧さん

言い訳は嫌いですが、小僧もつい言い訳してしまいます。
あの人がこうだから、この人はあぁだから。
その人はその人、私は私、主人公は主人公です。
他の人を気にするよりも、まずは目の前にあるべきことを精一杯取り組んでいきたいと思います!

小僧合掌

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恩林寺の小僧さん
檀信徒の皆さんに『一休さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております、鳳雅禅士です。「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。感謝・合掌。