頭陀袋117 令和4年3月号

唯一道実和尚の血書華厳経

黄檗山萬福寺草創期、隠元禅師の侍者(お付きの和尚)を務める唯一道実という和尚がおられました。

此の和尚は、隠元禅師が中国黄檗山(古黄檗)で住職しておられたとき禅師の弟子として出家された方で、禅師東渡の時、同行されたのですが翌年、中国に戻り古黄檗や海南のお寺で教化されていました。
寛文元年高泉和尚が日本に渡られるとき、再度日本に渡られ、隠元禅師の侍者をしておられました。和尚は自分の指を斬り華厳経八十巻を血書しようと一大願心をおこします。
隠元禅師は山内、双鶴亭に起居することを許し、その志を遂げるよう支援しました。
道実は昼は自分の指を刺して経文を書き、夜は経の名を唱えながら二百拝をするという毎日でした。そして一年が過ぎ、道実は半分の四十巻を書き上げます。

彼の昼夜の辛苦を見た禅師は(このままでは飢えに苦しみ労を過ごして大願を全うすることはできまい。)と案じ、大衆とは別に薬石として夜食をとることを許しました。
暮れも押し迫った十二月二十三日、道実は夢を見ます。頭の髪を一つに結んだ、色白の童子が現れ、水に濡らした紙で、道実の口をふさいだ。道実は急ぎその紙を引き裂いて難を逃れたが、そんな夢が三夜続いた。

唯一道実

お前は誰だ。なぜ儂の口を塞ぐ。

と、質した。すると童子は

監斎使者の童子

私は僧院の食物を監護する監斎使者の童子。
これまでの和尚の飯代をいただきに来た。

夢から覚めた道実は、『これは大衆とは別に夜食を食べていた罪に違いない。』と、自分の財布からその代価を取りだし庫院に行き役職のものに金を払いひそかに米びつを補わせた。
道実はこのことを誰にも話さずただ監斎使者の像を礼拝しその罪を詫びた。

その後、このことは隠元禅師の知るところとなり、大衆に話された。

隠元禅師

常住の食物は、皆、信者よりの布施である。
みだりに個人の都合に用いてよいものか。
しかし、私が道実の大願を思い行った。わたしの罪は重い。
私も監斎使者にその過ちを詫びよう。

と語られた。
禅師はさらに、みんなは心根を清浄に保ち因果の道理が明らかなることを知ろうではないか。
浄因は必ず浄果を招く。このことをゆるがせにしてはならぬぞ。と諭された。
その後、道実は華厳経八十巻を書き終え、その後、隠元禅師亡きあと双鶴亭西に華厳院を構え、法華経、楞厳経などを血書し、その数二百巻に達したという。

隠元禅師三五〇年大遠諱

令和四年四月三日は隠元禅師正当三百五十年にあたります。
大本山萬福寺ではいろいろな行事を計画されていましたがコロナ禍のため、かなり縮小され催行されます。団参のバスも辞退ということですので残念ですが皆様との御参りも次の機会とさせていただきたいと思います。

今月の言葉

他人の母はわが母なり

隠元禅師がなくなる年、病に伏した禅師を別伝道経という僧が見舞に来た。
彼は禅師東渡以来の法弟であったが、その親思いを禅師は気に入っていた。
禅師は「他人の母はわが母なり。」と言って最後の選別を与えられたという。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。