頭陀袋116 袈裟の功徳

頭陀袋2022
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戦中派の世代もいよいよ次のステージを考えるようになりました。
昔読んだ本も捨てるにはもったいない、しかしいつまでも押し入れにねむらせておくには…と、思いながら何気なく古本をめくっていると、読売新聞社発行の禅の世界という本のなかに、お茶の水女子大の水野弥穂子先生が袈裟の功徳について投稿されているのが目に留まりました。

少し難解な部分もありますが、その要旨を紹介しましょう。
解らないところはそのままにして次へ読み進んでください。

道元禅師は仏教の真実を求めて宋に渡り天童如淨禅師に出逢って仏法の正嫡(正統な跡継ぎ)と認められ日本に帰られました。
その正伝とは、焼香、礼拝、念仏、修懴、看経を用いず、ただし、打座して身心脱落を得よ。と、座禅に徹することを教えました。
その内容は正法眼蔵に示されています。さて、その正法眼蔵の中に袈裟功徳の巻があり、ここではひとたび袈裟を覆い、刹那、須叟も受持せん。すなわち、これ決定成無上菩提の護身符子ならん。(ほんのしばらくの間でも袈裟を身に着けると、だだちにこれが間違いなく無上菩提を成ずる身の護符である)というのである。さらに世界の全体が今ここに正伝する袈裟だという。
昼夜眠らず坐禅せよとは言わない。正法眼蔵が解るまで勉強せよ。とも言わない。
「この衣(袈裟)を伝持し頂戴する衆生は必ずこの二、三生の間に得道せり。もし菩提心をおこさん人、急ぎ袈裟を受持頂戴すべし。在家の人夫なれども袈裟を受持することは大乗最極の秘訣なり。道元禅師の残されたものをよく見てゆくと座禅なら何でもよいというのではなく、凡夫、外道ともに座禅を営む、然れども凡夫外道の座禅は仏々祖々の座禅に同じからず(外道の座禅は邪見、驕慢があるが仏祖の座禅にはそれがないといわれる。
これを形に表すと袈裟をかけて座禅となるようである。禅師の著した正法眼蔵座禅儀では仏弟子の座禅は常に袈裟をかけて座禅すべし。」と言っている。

袈裟が「決定成無上菩提の護身符子」であり世尊の皮肉骨髄の正伝であるならばその座禅は紛れもなく仏祖の座禅になる。
そいう座禅ができるのは決して不断の修業を行ったおかげではない。ただただ、仏祖の袈裟の功徳に任せて自己を放下した座禅とするのみである。と、いう。
この言葉の奥行の深さに心打たれるゆえんである。

読売新聞社発行:禅の世界

私がまだ未成年の頃、近くに住む長谷川さんのおばさんが
「正彦さんあんたの首にかけている袈裟を二、三日貸してくれんかな。」と言って自宅へ持ち帰り手製の袈裟を縫って届けてくださいました。
以来、この袈裟を大切につかわせていただいております。

今月の言葉

古田住職
古田住職

み仏に えにしある身を思うべし その名もうれし 袈裟丸の里

古川町淨永寺幾代様の父上様が詠まれたもので
自坊が袈裟丸の地にある事を喜ばれた詩です。

古田住職
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中山かんのん 恩林寺 住職合掌

古田住職

皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。
「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。

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