頭陀袋113 令和3年11月号

美人清水

それはまだ飛騨の国を金森公が治めるずっと前の話です。
荒城郷、鶴巣の農家、与衛門の家に、近隣評判の美しい一人娘が居ました。
噂を聞いた廣瀬城(現、高山市国府町)の殿様と、小島城(現、飛騨市古川町)の殿様の双方から「ぜひともこちらの城に奉公に来てもらえまいか。」と、申し出がありました。
両親は喜んではみたものの、考えてみると娘はひとり、どちらに仕えても片方の殿さまに顔が立ちません。日が過ぎるごとに催促の使いは来るし、広瀬の殿様と、小島の殿様の間は険悪になるといったわけで途方に暮れてしまいました。

娘はこれ以上、両親に心配をかけては申し訳ないと、ある夜、自害してしまいました。
遺された遺書には、『私の亡骸は鶴巣の山の麓に埋めてください。もし、そこから湧き水が出たならば、私が成仏したものと喜んでください。』としたためてありました。
間もなく、ここから美しい清水が湧きだし、いくら日照りが続いても枯れることなく、こんこんと沸き続けています。
これを誰が言うともなく美人清水と呼ぶようになり地元の人たちに親しまれてきました。
それから何百年の後、国府町の町長さんは古川町の会社社長、小倉源蔵さんに此の民話を伝え、老朽したお堂を再建したいと相談し、小倉社長は、「それはぜひとも、この民話を大切にし、お堂を再建して後世に残しましょう。」とお堂のお不動様に加え、「美人清水だから、観音様もお祀りしましょう。」と、秘蔵の観音像を寄進されました。
こうして美人清水の環境整備がなされ、美人さんや美人さんにご縁をと、思われる方がたから親しまれています。
秋も深まってまいりました。
コロナ禍でご不自由なさっておられた方、ふらっとお詣りにお出かけになりませんか?

秋の彼岸会ご報告

毎年春秋の彼岸会を宗猷寺様、正渓寺様、清見寺様にご出仕をお願いしてお勤めしておりますが、今年はコロナ禍のため、お寺のみで、永代祠堂、ここ一年にお亡くなりになった方、檀信徒様の追善、水子供養を勤めさせていただきました。
早く、従来の形に戻したいと考えておりますが事情ご賢察のうえ引き続きご支援賜りますようお願いしご報告と致します。

今月の言葉

兄弟は、左右の手と同じ

武田信繁は信玄公の弟ですが家訓として兄弟は左右の手のようなものだ。少しでも粗末な扱いをしてはならない。と言っている。
左右の手は同じものをつかんだり引き寄せたりできる。片方そっぽを向いたら片方が困る。
こうなると親までが困る。兄妹仲良くが一番。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。