頭陀袋109 御仏のまします里

頭陀袋 2021
頭陀袋 頭陀袋 2021

御仏のまします里

古田住職
古田住職

頭陀袋の恩林寺のある町、
下岡本町とはどんなところでしょうか。

高山市の西側を貫く、小高い山(丘陵)、南から北へと高山盆地を屏風を立てたように塞いでおります。この約南半分の麓を上岡本町、北側半分のふもとを下岡本町と言い、冬頭町に繋がります。
氏神様は富士神社で木花咲耶姫命このはさくやひめのみこと(桜の花の名の語源の神)をお祀りしています。
ここは永禄年間(1150年頃)岡本豊前守が中山城を構えていましたが、三木自頼みつき よりつなに責められ没落しました。
この村の歴史根拠がはっきりしてくるのは高山城主金森公が高山に照蓮寺を移した頃、願生寺を荘川村海塩より移転いたしました。この場所は聖徳太子をお祀りする太子堂があった所と言われ、金森公よりここを寺地として寄進されました。下岡本町はこのころから次第に農地も拡張し、次第に人家も増えてきたものと思われます。

私は小学四年生の頃から、お盆の棚経周りをさせて頂いたのですが、願生寺様の御門徒で、旧家、「孫平」さんに伺うとお仏壇の「帰命尽十方無礙光如来きみょうじんじっぽうむげこうにょらい」の掛物の前に、金仏のお釈迦様のようなお像がお祀りしてあるのを、不思議に思いながらおりました。
孫平の婆様に聞くと「この仏様は田んぼの中から出てござった仏様でな。」とのこと。
不思議なご縁で私はこの「孫平さん」の御当主、孫一さんと同じ職場で二十数年お世話になりました。孫一さんは定年退職後間もなくお亡くなりになり、ご無沙汰になっておりました。近年、市会議員の今井武男さんが上梓されました『すのりとともに』に、この仏像のことが掲載されており、私はもう一度この仏像をお詣りさせて頂きたいと、古川の広田家に伺いました。

広田家では、孫一さんの奥さんや当主の久司さんも御健在で、快く迎えてくださいました。
当主の久司さんより三代前、曾祖父の松之助さんが所有の田んぼを耕していたところ、カチン。と、熊手にあたるものがあり、よく見ると小さな金仏が見つかりました。それも、大小二つの仏様。
その場所を伺いますと、そこには松之助さんの代に、石碑を立てたのが今も残っており、そこは昔、観音堂があった場所とのことで字名を「堂ノ前」というそうな。(そういえば子供の頃、今井三郎さんの前あたりから踏切を渡り、坂井辰雄さん宅の横を通ると大きな墓のようなものがあったな。)あれがそうか。等と、昔の記憶が甦ってきました。
広田家では久司さんのおじいさんにあたる久次郎さんが当時の願生寺住職、白川継昭様(ごえんさま)に、その由来を書いていただいたとのことで、その由来書きも見せていただきました。

仏像由来

伝説の仏様はいずれも頭部に小さな穴があり、仏像は後ろ半分がなく、推定では室町末から鎌倉時代に作られた懸仏で、おそらく、丸い、板状のものに仏像を懸けて拝むものだったのではないかと思います。飛騨では神岡町小萱の小萱薬師堂にその例が見られますが、いずれにしても、下岡本は早くからみ仏まします里であった事は間違いないようです。
近いうちに、町内の和合会(壮年の会)などでご披露させていただきたい。とお願いしてまいりました。

今月の言葉

古田住職
古田住職

聞きたくない自分への批判こそ本当に聞くべき言葉である。
子供の頃、自分が聞きたくないことを言ってくれる人こそ親切な友人である。と、担任の先生が話してくれたことがあります。

古田住職
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中山かんのん 恩林寺 住職合掌

古田住職

皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。
「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。

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