頭陀袋105 令和3年3月号

私流の禅(我禅)

先日、久しぶりに昭和時代の税務署長さんにお会いしました。
昔から変わらず私たちの勝手で「署長さん」とお呼びしているのですが、その署長さんから、こんなお話を伺いました。
「お寺さんに話すのもどうかと思うのですが私は朝、目が覚めたら、横になったままでまず、呼吸を整えます。それから今日、一日、どんなことをするのか、スケジュールを描いてみます。それから一日が始まるのです。私のは臥禅ですかねえ?」
私はその質問に
「臥禅(寝禅)でも我禅でも素晴らしいじゃないですか。他に、歩行禅なんて言葉もあるそうですよ。毎日の喧騒を避けて自分の心をニュートラルにする。それから課題に向かう。こうした切り替えが時間を有効に使う手段かもしれませんね。」
とお答えました。

今月は、私流のミニ禅についてお話いたします。

今月は、私流のミニ禅についてお話いたします。
「座禅って難しいの?」「禅宗は厳しそうで取っ付きにくいよね。」という言葉をよく耳にします。
そもそも禅というのは自分が生きていることを自覚することから始まります。
例えば、左手首親指の付け根を右手の親指の腹で軽く押さえてみてください。(看護師さんが脈を診るあの方法です。)
一分間に七十回前後、心臓が動いていますよね。人生百年生きたとして、およそ三万六千日。
親からもらった命は今日も動き続けています。
そこで考えてみてください。
今の自分は人生の中のどの辺りにいるのでしょうか?

次に正座、または胡坐をかき、(床に座れない人は椅子に座り)背筋を伸ばしたまま半眼で左手に数珠を持ち、呼吸を整えます。
舌先を前歯の裏にくっつけてゆっくり呼吸をします。
吸ったら吐いてを一回、二回と、十まで数えて、また一から数え直します。そして十回呼吸するたびに一つ数珠の環を送ります。
数珠が一回転するころ目を開けて辺りを見回してください。
自分の心がニュートラルになっていることが解ります。
一から十まで数えるだけで他のことを考えずにいると、呼吸の音が聞こえませんか?

これが私流の禅の方法です。
座るというのはいつまで、どこで、というような縛りはありません。
署長さんが言われるように自分にとってのミニ禅でよいのです。
興味が湧いてくれば和尚さんにこの先どうすればいいのか指導を頂くのもよいでしょう。
毎日のちょっとした時間に気持ちが落ち着けるような時間があるといいですね。

春の彼岸法要、及び、涅槃忌の縮小について

毎年、春の彼岸法要、並びに涅槃忌を三月二十日前後に勤めますが、本年はお寺さんたちの申し合わせにより、自粛することとなりました。
恩林寺では彼岸中、永代経祠堂のお勤めを毎日行います。
また個人でお出かけの際のご参拝に対応させていただきます。ぜひご相談ください。
また、ご自宅での先祖供養も承ります。ご希望の方は恩林寺までお申しつけ下さい。
また涅槃像は三月末日までお祀りしております。いつでも気軽にお詣りください。
コロナ渦により、このような形になってしまうことをお詫び申し上げます。

小僧さんの僧談事

私は、まだまだ未熟なのか、座禅は足が痺れるのですごく苦手です。しかし、座禅の最中は、そのしびれや痛みを感じることがなく、ふと我に返ったときに起こるのです。これは座禅に集中しているからだと思います。
集中力というのはなかなかすごいものだと感じています。
昨年流行した「鬼滅の刃」というアニメも、今ある生活全てに気持ちを集中しろと言っています。
もしかすると、日々の精進も「禅」の一つなのかもしれませんね。(笑)
小僧合掌

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。