頭陀袋100 喫茶去~まあ、お茶でも飲んでゆきなさい~

頭陀袋 2020
頭陀袋 頭陀袋 2020

喫茶去~まあ、お茶でも飲んでゆきなさい~

私たちは「お茶でも飲みませんか?」と言われると、「一緒にコーヒーででも飲みませんか?」と、誘われる場合が多く気軽なお付き合いの言葉として受けとめます。または自宅に来客があった時、「まあ、お茶でも飲んでやすんでください。」と言い、番茶を進める習慣があります。

お茶が中国より伝来した歴史は古く、聖徳太子の時代にすでに伝わっており、仏道を修行する僧侶が用いたようです。お茶の栽培となりますと、お茶の種を栄西禅師が鎌倉時代に、中国から持ち帰り栂ノ尾の明恵上人に伝え、栂ノ尾に植えたのが最初と言われています。
お茶を紹介するために栄西禅師は喫茶養生記を著しております。
お茶の効用としては胸の熱を下げる。眠気を覚ます。渇きを癒やす。心身を元気にするなど、またお茶には強心作用があり、お酒を飲んだ後、お茶を飲むと消化を良くしたり、お酒の酔いを醒ますのに役立つといわれて江戸時代平均寿命は五十才前後でしたが、茶人は七十歳過ぎまで生きる人が多かったと文献にもあります。

お茶と言いますと抹茶の大徳、煎茶の黄檗というような言葉もあります。
抹茶とは上質のお茶葉の若芽を摘み、乾燥して粉末にしたものです。室町時代後半より、抹茶は武家のあいだでもてはやされ、やがて千利休らによって茶道が確立してゆきます。利休の家系は代々大徳寺の僧侶に帰依したことから、抹茶の大徳といわれるようになりました。
片や、煎茶と言われるのは、いわゆる葉茶のことで江戸時代、黄檗僧(売茶翁ばいさおう)が現れ、京都の町をお茶を売り歩き、お茶をもてなしたことから庶民の間で気がるにお茶を飲むという事がなされるようになりました。はたごなどでは茶店が出来たりして、時代劇、助さん格さん、それにご隠居さんの三人が茶店で一休み、お団子にお茶なんてことになったのでしょう。京都、宇治はお茶の産地として江戸時代、将軍家お抱えの茶師も現れ、上林、竹田、辻利などが今に残っています。

茶道はいわゆる仏道を習うということも言われ禅宗のしきたり・作法を大いに取り入れております。
また、黄檗山萬福寺は、全国千茶道連盟の本部が置かれ、また、売茶翁をお祀りする売茶堂があり、毎年全国煎茶道大会や、売茶忌が行われます。
こうして私たちは日本人の文化としてお茶の流れがあり、しかも佛教に深くかかわってきたことを思い、お茶にお菓子、との御縁を喜びたいと思うものであります。

古田住職

皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。
「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。

古田住職をフォローする
古田住職をフォローする
恩林寺のぶろぐ

コメント

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました