頭陀袋072 法句経より

頭陀袋 2018
頭陀袋 頭陀袋 2018

人に生まれるは難く 今、命在るは有難く 世に仏あるは難く 仏の教えを聞くは有難し

人生は、なかなか思い通りにはなりません。何かあるたびに私たちは憂い、悲しみ、悩みます。こうした心の傷が避けられないものだとしたら、いったい、どうすればよいのでしょうか。仏陀の教えはそんな私たちを前向きにしてくれるのです。
どうしても避けられないことは「無常の現実」として受け止めるしかありません。でも、無常なる現実をただ嘆くのでなく、これも人生のありかたなのだと受け止め、それを乗り越えていく強さを持つように、と説いているのです。

「安心」という言葉があります。読んで字のごとく心の安らぎのことです。実はこの安心というのは仏教用語で、「あんしん」ではなく、「あんじん」と、読みます。意味も少しちがっていて、こころに何の迷いもない不動の境地を「あんじん」と言います。

人生を前向きに生きていく知恵と力を備えつつ、喜怒哀楽の出来事を、喜びをもって受け止める生き方を、仏教では「安心の人生」と、言って
います。しかしそのように生きるのは、大変難しい。悲しさや苦しさを喜んで受け止めるには、自らの努力だけでなくいい縁に恵まれることも必要です。難しいだけに、なかなか「有難い」ことであり、もしも、そのように生きられるのであればそれこそ「有難い」というほかありません。

その有難さに気づいた人は、生まれた縁を喜び、仏の教えに出会えたことを感謝するでしょう。

そして、このような生き方が可能となるのは、私たちが、人間として生まれてきたからなのです。

お施餓鬼のお知らせ

私ども黄檗宗の第十八教区(岐阜県内)には約二十ヶ寺のお寺がありますが、毎年六月末から八月末まで回り持ちでお施餓鬼法要を勤めます。今年は、恩林寺は七月一(日)午前十一時より区内の和尚様方が随喜してくださいます。

お施餓鬼のいわれは阿難尊者の焔口えんくの故事や、目連尊者の母の地獄よりの救いの故事が解説されますが、私たちのご先祖を思い、ご供要する法要です。私たちは現実には行動に表しませんが、こころの片隅に、地獄、餓鬼、畜生の醜い心を持ち合わせています。

祖先のご供養とともに、この法要を通じて、懺悔(反省)の心を養いたいものです。法要の要旨は来月、改めてご案内いたします。

古田住職
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中山かんのん 恩林寺 住職合掌

古田住職

皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。
「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。

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