頭陀袋048 平成28年6月号

般若心経の解説

般若心経はすごく長ーい大乗仏教の教えをわずか三百字足らずでまとめた日本人にはなじみの深いお経です。

耳なし芳一が亡霊に連れ去られようとしたのを守ってもらえたのは全身に書いたお経のおかげでした。結局、耳だけ書き忘れ、削がれてしまったのですが。少し難解かと思いますが紹介いたします。

観音様は真実に目覚める修行を極められ、身も心も皆、空(無)であることを悟られ、一 切の苦しみから救われる道を示された。

舎利弗よ(弟子たちよ)形あるものは空であり、空が形あるものを構成している。したがって感覚、思い、分別、認識も皆、空なのだ。

舎利弗よ。この世の一切の真実は皆、空であって、生まれることもなくなることもなく汚れもせず、清らかにもならず増えもせず減りもしない。ゆえに空が構成する実相の世界では形あるものは何もない。

感覚、思い、分別、認識すらない。そこは 目、耳、鼻、身体、心といった感覚器官もない。形、声、香り、味わい、触覚、心の作用もない。目に見える世界から意識の 世界まで何もない。無明(迷い)もなく無明の尽きることもなく老死もなく、老死の尽きることもない。

苦も、苦の原因も苦のなくなることも、苦をなくする道もない。教えを知ることもな く、悟りを得ることもない。 何も得ることがないということを菩薩は真 実に目覚める知恵によってあるがままに見ることができるから心に障りがない。心に 障りがないから恐れることもない。したがって一切の迷いから離れて心の安らぎに至るのである。

どうでしょうか? まさに禅宗、空の世界ですね。私たちは、まる覚えで読んでいるお経にもふかい意味があるのですね。時々、こんな解説を部分的にも思い出しながら、読むというのもいいことではないか思います。般若心経の解説本は、たくさんの方々が書いておられます。本屋で見かけられましたら、またよいご縁が開けますように。

琵琶を聴く会(五月二日)

各務ヶ原市、黄檗宗清見寺住職、中野妙照禅尼様をお迎えして越前琵琶の演奏をして いただきました。庵主さまのタイトルは(若き敦盛)でした。
まず表千家流、浅野晶子先生のお茶とう (献茶)があり、続いて皆さん抹茶をいただきながら琵琶を聴くという、楽しいひと時を過ごしていただきました。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。