頭陀袋035 平成27年5月号

真ん中を歩け (住職の受け売り)

会社の図書室で、懐かしい方の伝記を見つけました。実は、この方は、昔、高山の税務署長さんをなさった方で私と同い年の方の御姑さんです。署長さんは弱冠二十七歳で署長に赴任され、たまたま、ご長男が、高山でご出産されたばかりでした。

お姑さんはお孫さんの出産というので署長さんのお手伝いで、しばらく高山の署長官舎に同居されておりました。

ぼんやりと今年二度目の庭の雪を眺めていたら妙なことを思いだした。私が育った富山での冬に、祖父とふたりで手をつないで町へ買 い物に行った時のことだ。確か小学校六年生の時である。町に着くまでには大小、いくつかの橋を渡った。それらはみな木の橋で中央に積もった雪は人に踏まれて歩きやすくなっていた。それなのに私はわざわざ雪の詰まった欄干に寄り雪を払いながら歩いた。すると祖父が「晴代、道の真ん中を歩け。」と言って私の手を引きながらこんな話を始めた。

「道はまんなかをあるくものだ。大道闊歩は女子のお前には必要ないことだが、まっすぐ前を向いて歩け。これは長い人生に関わりのある事なのだ。お前はみちという漢字を三つ書けるか」

私はどうにか三つ書いてみた「道」「路」「径」こわごわと顔を上げてみると祖父はうなずいた。

人間、道の上を正しく歩くにはまず善悪を知ること、正しきことのみ運べば顔は自然と正面を向き誰にも恐れることなく歩けるのだ。心に何か迷いが生ずるとちょっと横道にそれたくなるものだ。そういう時のために善悪を知り正邪をわきまえれば再び大道へ無事に出られる。

しかし一番困るのは自分の考えが間違っていると気がついてもそれを通してしまうことだ。横道にそれたつもりが、やがて迷路に踏み込んで、出るに出られぬようになっていく。それた横道から這い出すにも大きな勇気がいることを忘れてはならぬ。仮に勇気をなくして横道を歩いたならばその人は他人を傷つけ救いのない道へ転落するだろう。

古来これを「人の三道」というそうな。祖父は町への行きすがらこんな話をしてくれた。折あるごとにいろいろな話を聞かせてくれた祖父の大きさが今更ながらわかるような気がする。いったいこの先の径はどこへ続くのだろうか。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。