佛のお慈悲
世を救う 三世の仏の心にも似たるは親の情けなりけり。
子供がほめられれば、わたしが褒められたように、子供が成功すれば自分が成功したと、一瞬一時でも子供のことを思うお母さんの気持ちこそ、仏様のお慈悲に近いものはありません。
東日本大震災の被災地、福島県生まれの野口英世博士のことであります。
野口英世博士が子供のころ、母親がちょっと目を離したすきに囲炉裏に落ちやけどをしてしまい指が固まってしまいました。
おかあさんは、自分の失敗と思い深く反省して、どうしてもなおしてやりたいとの思いから何軒もの医者を探し、ようやく使える手になりました。
そのお母さんに感謝した英世は医者になって気の毒なひとたちを救おうと医学を志し、アメリカにわたって黄熱病の解明と治療に尽力されたのでした。
忙しい合間に日本に帰国して各地を講演して回っている巡業中、一時もお母さんと離れず一緒でした。
大阪、箕面の茶店で休んでいたとき「お母さん。お茶をどうぞ。」「お母さん此処の紅葉はきれいですね」と、お母さんをいたわる英世の姿に感動した茶店の女主人は野口英世博士の銅像を建てたそうです。
子供はかわいいと思えば思うほど、幸せになってもらいたいと思えば思うほど、子供にお金や地位を作ってあげても、本人の努力が足りなければ、よけい不幸になります。
かわいいと思えば思うほど、一番大切な時に代わってあげられない。
だから親は陰で涙を流し何とかこの苦難を乗り越えてくれるように祈らずにはいられないというのが 「慈悲」の悲です。
サンスクリットのカルナーで「叩く」「嘆く」という意味を持っている字が「悲」です。
親やが子供に乳を与 えている姿は母子、一つになっております。
サンスクリットのマイトラで「親近感」「一体感」の意味持っている字が「慈」です。
アメリカインデアンのうけつがれていることばに
「我々はこの大地を祖先から相続しているのではない。我々の子孫から預かっているのだ。」というのが残っております。
祖先への感謝の気持ちと未来の人たちの配慮を忘れないで私たちは慈悲の心を温めたいものであります。
(犬山市先聖寺様の御説法より)
住職合掌