施しを受けなかったバラモン(お金、無常)
昔、いろいろな宗教を信じている国王が居た。 ある日、善行をつみたいと思い七宝を積み上げてほしいものは誰でも一掴みずつだけ宝をとってよい。と告げた。国中の民が一掴みずつ宝を持ち帰ったが数日を経ても宝の山は減ることがなかった。
仏はこれを知って、バラモンの姿になり、その国へ行き、王にまみえ、
「私は遠くより来たものですが宝石をいただいて家を建てたいと思います」と言うと王は 「其れはいいことだ。宝石を一握りとって返るとよい。」と答えると、バラモンは一握り取り、七歩歩いたところで、戻ってきて其れを元に返した。
王は不思議に思い「どうしてとらないのか?」と聞くと、「これでは小さな家しか作れません。妻を娶るには足りませんから取りません。」 王が「其れでは三回つかんで取るがよい。」バラモンは三回つかみ、また七歩いって戻り、元のところに返してしまった。
「まだ足りないのか?」「もしも息子や娘ができると成長して嫁をもらったり、嫁がせたりしなければなりません。また、祭りや弔いごとを考えるととてもこれだけではタリマセン。」
王はとうとう「此処にある宝物は全部持ち帰れ。」と言うとバラモンは一度全部の宝を受け取ったが、すぐ、捨ててしまった。
王は不思議に思ってそのわけを聞くとバラモンは、「人はいくばくも長らえる事はなく、万物は無常で朝夕保ちがたいと言うのに、人生はさまざまな因縁にまとわれ、苦しみは深まるばかりです。この苦しみの前には山のような財宝も何の約にも立ちません。」
この言葉に王はハッとして教えを明らかに聞きたいと思った。
貧相は道業成弁の相
惟慧道定和尚(ゆいえどうじょう和尚)は若いころ長崎に行き、そのころ渡来してきたばかりの隠元禅師について修行をした。隠元禅師が興福寺(長崎の唐寺)に居られた時のこと。ある日信者の一人が参詣して大衆の中に隠元和尚を見てその徳相(人相がすばらしいのに驚き、 「いつの日にか、きっと大善知識の僧になられるであろう。そしてさらに惟慧和尚を見て「あなたは非常に貧相であるから一代、定めてご不自由なことでしょう。」 と。
和尚は其れを聞いて、かえって喜び、「そうか。まったく貧相か。しかし貧乏相ならかえってまことにうれしいことだ。これすなわち道業成弁の相なり。(坊さんの修行に向いている人相だ。)と、喜んだという。
*学道の人はまず、すべからず貧なるべし。財おおければ必ずその志を失う。
在家学道の者はなお財宝にまとわり、居処をむさぼり、眷属に交われば、たとえ、その志ありと言えども障道の縁多し。(正法眼蔵随聞記より。)
住職合掌