頭陀袋011 業(その1)

頭陀袋 2013
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業とは人間のなす行為、振る舞いのことであります。
ふだん、この言葉はよく使います。たとえば(前世の宿業)とか(自業、自得)(業が深い)などのようです。この業には過去の業と、現在の業があります。過去の業は宿業といわれ身に覚えの無い業、人間の力ではどうにもできない業のことであります。
たとえば飛行機事故に出会うようなことです。つまり自分の力を超えたもの、予測のできない避けることのできない災難などを宿業といいます。
それにたいして現在の業は身・口・ 意の三業によって生ずるものであります。身業とは身体で行うもの行為であり口業とは口で行う行為、つまり口で言うことであります。また意業とは心で行う行為のことであります。 これらの行為が集まって未来の結果を生むのです。

業には善なるもの、悪なるもの、善悪どちらにも決められないものがあります。善因全果悪因悪果という言葉があります。つまり善い行いをすれば善い結果を生み、悪い行為をすれば悪い結果を生 ずるということです。しかし現実の問題として必ずしもこのようにならない場合もあるようです。たとえば、あんなに悪いことばかりしているやつがどうして罰があたらないのか?どうしてあんなに幸せそうなんだろう?とか私は別に悪いことをしたわけでもないのにどうしてこんな不幸な目にあうのだろう。と、いったところです。

現実に世の中にはこのような矛盾したことが多いようです。それではこの業というものをどのように解釈したらよいのでしょうか?そのために因縁というものを考えねばなりません。いかなる結果にも必ず原因というものがあります。この原因には直接な原因と間接な原因というものがあります。いくら働いても楽にならないのは社会全体が不景気であったり生まれた家が貧乏で学校に行けなかったり、会社が倒産寸前だったり子供が多かったり親、兄弟の面倒を見なければならなかったり、直接本人の責任でないように見えるさまざまな原因があるからなのです。

つまり、業というものは自分自身の行為であっても消して他人の行為やその他の世の中の現象とは無関係ということはありえないということです。

古田住職
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中山かんのん 恩林寺 住職合掌

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皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。
「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。

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