本家・本郷・本国
何の前触れもなくSさんがお寺をたずねてきました。
「方丈さん、助けてください。私は自分の家に帰りたいのですが、誰も返してくれません。私の周りにはいつも四、五人の人が居て自由がありません。」というのでした。
Sさんは八十過ぎで、もちろん自分の家で暮らしています。以前聞いたご家族の話では少し認知症が進んで困っているとのことでしたが、ごく普通に話ができます。
彼が言うには「今住んでいるところは他人が建てた家で、こんなところより、本当の家に帰りたい。」とのことでした。今のSさんの家は彼の代で建て替えた家です。彼の頭の中では自分の生まれ育った家こそ本当の家で、この古い家がイメージされているようでした。
いや、この娑婆に生まれる以前に住んでいた本当の家かもしれません。
「迷いを翻して本家に還る」という仏教の言葉があります。一般には分家から見て分かれる前の家、一族の主となる家を本家、総本家などと申します。仏教用語としては「本来の居場所、つまり悟りの境地とか極楽浄土」を指します。すべてのものには耐用年数があり年を重ねると疲弊して機能が低下してまいります。疲れ果てたものは「本(もと)に帰ろうとします。還元しようとします。人も年齢を重ねると昔に帰ろうとします。生まれ故郷の家が懐かしくなりますし、親が懐かしく思い起こされ涙がとめどもなく流れることさえあります。
仏教では「本国」といえばつまり浄土のこと、本郷といえば本来の故郷、つまり覚りの世界のこと、そしてそこにこそ本来の本家があるとします。生まれ故郷のふるさとの家がさらにさかのぼり「生まれる前に居た仏国土」になったときそのときが本当の「帰家穏座」 (きかおんざ)のできる時かも知れません。
三仏会(さんぶつえ)
毎年、高山市仏教会は各お寺合同で、 降誕会(花祭り)の行事を計画します。

①お釈迦様がなくなった日(二月十五日)涅槃会といいます
②お釈迦様が誕生された日(四月八日)降誕会といいます
③お釈迦様が悟りを開かれた日(十二月八日)成道会といいます