頭陀袋004 平成24年10月号

厳父・慈母、それぞれの役割り

オギャーと生まれお乳を飲んでひっくり返っているだけの乳飲み子はまさに肌身離さずという状態で母親はわが子をいつも肌に寄せているものです。
今度は「手を離さず」 からやがて「目を離さず」の時期がやってきます。
突然の地震で、とっさに抱きつくのは「おかあさーん。」などとほぼ間違いなく母親側になるのです。

よく考えればお父さんのほうが体力もあり、頼りになるのに 「お母さん怖いよー」なのです。
また、日中、わいわい騒いでいても寝るときになると、お父さんでなくお母さんにくっついて寝ているものです。
子供に対する愛情は父親も母親も寸分も違わないものであるにしても子供はそれぞれ違った受け止め方をしているからなのでしょう。

そういったものをよく考えてみると、母親の愛情、父親の愛情の役割分担が違っていても当然であり、母親は「慈悲深さ」父親は「厳格さ」男女の特性をうまく生かしてそれぞれの役割を果たすことが子育てには一番ベストといえるのではないでしょうか。

この「慈悲深さ」「厳格さ」はそれぞれまったく異質でありながらどちらも欠かすことのできない愛情なのです。
最近特に痛感していますことは母親が父親の役割を奪っている。ということです。
世の父親は仕事が忙しく仕事が終われば付き合いがある。などと言って、なかなか家に居る時間が少ない。

「今頃までど こをほっつき歩いているやら。」などとこき下ろされ、挙句には、「そんなことしてたら お父さんみたいになるよ。」などといわれる始末。
これでは旦那もすねたくなるかもしれません。

「あそこの塾に行きなさい。こういう習い事をしなさい。今がんばらないと将来、役に立たないわよ。」こうした指示、命令系統は父親の領域です。

また叱ること、 躾けをすることの責任は父親の特性を生かしてこそのものがあります。
父親からガツンと叱られたときの逃げ場が慈悲深い母親の元なのです。
厳しい父親に対し、「そんなにきつく言わないでよ。」と、子供をかばってあげること、そして「お母さんだけは僕の味方で居てくれる」という安心感が子供のよりどころとなるのです。
今は、こうした甘えたい母親に甘えることもできず、心のバランスを大きく崩し、右往左往している子供があふれかえっている。といっても過言ではありません。
かつては(厳父、慈母) の実践が当たり前のようにどの家庭でもいきわたっていたものです。
日本のよい伝統というものは、どうにかしてのこしていきたいものですね。

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古田住職
皆さん、こんにちは。住職の古田正彦といいます。 私は「お寺に行こう 和尚さんと友達になろう」をキャッチフレーズに進めています。 小さなきっかけでも仏様と結ばれることを喜びとしています。