臘八大摂心を無事終えた恩林寺の小僧です。
乗り越えると気持ちの良いものですね。
やはり朝日が眩しく感じます。
他に参加した雲水さん達も顔が晴れ晴れとしていて、とても良いものでした。
摂心では、提唱というものが行われます。
簡単に言い換えると、授業のようなものです。
こんな勉強が嫌いな苦手な小僧も、配布されるプリントに隙間なくメモを取り続けました。
しかし、字が汚い😭
後で見返しますと、何て書いたのか分からない😭という事態が発生しています。
その中で特に印象に残った話をしたいと思います。
老師の言葉
老師がおっしゃられた事に、次のような言葉があります。
「己の為の修行は羅漢であり、他の為の修行は菩薩である。」
これは、『坐禅儀』というものの解説中に言われました。
坐禅儀というのは、坐禅の座り方を説明したもので、禅宗四部録という4つの内の1つです。
自分の為に修行するのは羅漢である
これは修行して自分が仏になることを目指します。
萬福寺には十八羅漢と言って、18人の羅漢さんが祀られています。
尊者と呼ばれる彼らは修行し続けて、お釈迦さまの言う「悟り」を身体で表現しています。


他人の為に修行するのは菩薩である
これは他の人や動物に感謝して修行することを指します。
また、誰かを救いたいと思う故に修行に励むことを言います。
恩林寺の本尊である観音様も私たち全ての人や動物を救うまで今でも修行を続けているのです。
坐禅儀には
この坐禅儀には、どちらも大切だと書いてあります。
自分の為であり、他のモノの為でもある。
修行や坐禅とはそういうものだ。と言われているのです。
他人の為ばかりで坐禅をしてもきっと苦しくなり、自分の為ばかりで坐禅をしたら、しすぎて体を壊してもやり続ける可能性があります。
まさしく、どちらも平等に行うことが大切で、「中道」と言います。
この話をした信徒さんに言われました。

そんな考えもあるんですね~。勉強になります。
臘八大摂心後の想い
お釈迦さまは6年に及んだ苦行をやめ、菩提樹の下で瞑想をするようになりました。
そして、12月8日、お釈迦様はついに悟りを開いたと言われています。
僕はまだほんの少ししか…それだけで分かることなんて無いかもしれません。
釈迦が6年なら、小僧は6000年かも😆
しかし、精一杯、自分に厳しく他人に感謝して生活していきたいと思いました。

最後に…臘八大摂心では『臘八示衆』というものを勉強します。
白隠さんというお坊さんが書いた本の一つですが、とても勉強になります。
また機会がありましたら、順序よく皆さんにお伝えしていきたいと思っています。
でも、小僧が忘れてしまっている可能性も否定できません…😱
「あれ?臘八示衆の話はどうなった~」とお声掛けくださいませ😅
小僧合掌
まず阿羅漢(羅漢の正式な名前)となり、一切の煩悩を断って修行の最高位到達。
要は人びとの供養を受けるに値する仏弟子になれって事かな?
そしてその後に、菩薩となって衆生を導き、仏道を成就させようとする者になれって事かな?
菩薩とは、もともとは釈迦の修行時代を指していた言葉だったらしいし。
自身を修め、それを多くの人に還元していくって意味でないかな~?